甲府城(甲府市)

別名
舞鶴城・甲斐府中城
所在地
山梨県甲府市丸の内1丁目
形状
平山城
現況・遺構
現況:舞鶴公園
遺構:曲輪跡と石塁(二の丸・台所・鍛冶・稲荷・数寄屋)、天守台(建てられず)、復元門、石垣、内堀(水堀)
お勧め度(10段階)
6点
歴史等
天正10年(1582)武田家が滅びると、徳川家康はその旧領へ入り、天正11年(1583)、
平岩親吉を城代に任じ新城の築城(甲府城)を命じた。秀吉の小田原征伐の後、徳川家は北条家の旧領関東へ移封となり、後へは羽柴秀勝・
加藤光泰・浅野長政・幸長が入った。関が原の戦後、戦功により幸長が紀伊・
和歌山へ転封となると甲斐は一部を除き幕府直轄領となり甲府へは城代、徳川義直、忠長、綱重、綱豊と徳川姓の親藩大名が入った。
宝永元年(1704)綱豊が将軍・綱吉の養子となり江戸城西の丸へ移ると、武蔵・川越より綱吉の側用人・柳沢吉保が入った。
享保9年(1724)吉保の子・吉里が大和郡山へ転封されると、以後は天領となり老中配下の甲府勤番支配となった。
『サイト、愛車で行った全国のお城より』
訪城日
2001/10/06
感想等
私にはあまり印象のない城であるが、中央線の甲府駅から随分立派な石垣があることに、
以前から気が付いていて一度寄ってみようと思っていた。しかし、歴史的に親近感がないせいか、非常に綺麗で、よく整備・
復元されている城址でありながら、あまり感慨といったものが感じられない。それでも、打ち込みハギや切り込みハギの石垣・
高石垣は見事なものであるし、穴太積の天守台もなかなか立派なものである。また堀幅もかなり広く、
各門や橋との調和もよくとれていて素晴らしい。とても城代だけが置かれていた城とは思えないものがある。
(2001/10/06訪城後)
ギャラリー
梅林門
本丸・天守台跡