後醍醐天皇が行在所を設置し籠城
別名
笠置山城
所在地
京都府相楽郡笠置町笠置寺
形状
山城(標高290m)
現状・遺構
城跡は山頂に笠置寺、行在所がある。
遺構:腰曲輪、物見岩、貝吹岩曲輪など多数の削平地、出城が残っている。
【国指定史跡】
指定日:昭和7年4月19日
指定理由:笠置寺などのある笠置山の歴史的意義と、その景観および木津川の渓谷美による
面積:2,000㎡
資料館:なし
満足度(10点満点)
5点
訪城日
1997/08/03
歴史等
元弘元年(1331)後醍醐天皇は鎌倉幕府討伐計画をたてたが、計画の漏洩を知ると、天皇は鷲峰山金胎寺に入り、
金胎寺から呼応する南部勢力に近い笠置山を城郭に選んで籠城した。僧兵、武士、農民ら5千の兵が笠置山に集結、櫓が上げられ、
塀には狭間を開き、要所に木戸を設けた。城郭史上初めて山岳寺院が山城として登場した。7万余の幕府軍が押し寄せた。善戦したが、
奇襲をかけられついに落城した。
『日本城郭大辞典(新人物往来社刊)より』
現況・登城記・感想等
山上まで道が通っているものの、車がやっと通れるだけの急な坂道で、しかも谷側にはガードレールもなく、すれ違う時には大変だった。
二度と、この道を車では来たくない。やっと山上に着き歩いていくと、これが岩また岩の大変な所で歩くのも危険な所であった。
山頂にある貝吹岩からの眺望は素晴らしいが、はるか眼下に村々や道路が見え、吸い込まれるような感じで恐くもあった。
幕府軍もここに押し寄せるのは大変だったろうなと、幕府軍の兵に同情してしまう。書物等を読んで、後醍醐天皇というのは、
自分のことしか全く考えない本当に身勝手な嫌な人間(天皇は人間ではない?)だと思っていたが、
隠岐から逃れてきて拠ったという鳥取県にある船上山もそうであるが、自分だけはそう簡単には攻められない安全な所に身を寄せて・・・
と今までの実感を更に強めた。
ただ、磨崖仏をはじめとする巨岩には圧倒される。磨崖仏という芸術も素晴らしいと思うが、それ以上に、これだけ多くの巨岩が、
こんな急峻な山の、しかも山頂にごろごろと転がっているのには・・・。
(1997/08/03登城して)
ギャラリー
山頂からの眺望
岩また岩の大変な所で歩くのも危険な所であった。山頂にある貝吹岩からの眺望は素晴らしいが、
はるか眼下に村々や道路が見え、吸い込まれるような感じで恐くもあった。

笠置山は巨岩だらけ
磨崖仏をはじめとする巨岩には圧倒される。磨崖仏という芸術も素晴らしいと思うが、それ以上に、
これだけ多くの巨岩が、こんな急峻な山の、しかも山頂にごろごろと転がっているのには・・・。



磨崖仏(相当数の巨大な磨崖仏が至るところで見られた。
磨崖仏下の木と較べて見ればその大きさが理解できると思う。)

