天神山城跡への入口と全景
鳥取城へ移るまで108年間の因幡山名氏の本拠
所在地
鳥取県鳥取市湖山町南3丁目
【アクセス】
JR山陰本線「湖山駅」から南西へ約1kmにある鳥取緑風高校の西にある小山が城跡。城跡内へは、山の西を走る県道264号線側から入り、山の北側を通り、北東部から入城する。
鳥取緑風高校:湖山町南3丁目848、電話0857-37-3100
所要時間
入口から山頂部まで4分ほど
形状
平山城(標高25m、比高15mほど)
現状・遺構等
【現状】 山林(鳥取県指定史跡)
【遺構等】 曲輪、天守櫓台、土塁、切岸、堀切、説明板
満足度
★☆☆☆☆
訪城日
2012/05/20
歴史等
暦応3年(興国元年、1340)山名時氏が因幡守護職に任ぜられ二上山城を築いて、因幡国を支配してから125年後、但馬山名から入って因幡山名氏の5代目を継いだ勝豊(山名宗全の次男)が、文正元年(1466)、天神山城を築いて移った。
天文17年(1543)、山名誠通は同族但馬山名祐豊と争い、天神山城を焼かれ、誠通も討ち死にした。
その後、重臣・武田高信が鳥取城を本拠として離反し、因幡守護山名氏は、武田高信との因幡国内での勢力争いが続いた。
元亀3年(1572)、山名豊国の時、山中鹿之助の助けを借り、武田氏を滅ぼした。
天正元年(1573)、山名豊国は居城を鳥取城へ移した。
『日本城郭大系14他参照』
現況・登城記・感想等
天神山城はは、往時は城域も広く、標高25mの天神山と標高40mの卯山に築かれた平山城で、南北400mの内堀と、湖山川からひいた全長約2.6kmにも及ぶ外堀が城域の周囲をめぐる大規模な城であったようだ。
しかし、現在残る天神山城跡(を見る限り、規模も小さい上に、それほどの要害地とも思えず、とても因幡山名氏の本拠の城があったとは思えないのが実感。
僅かに残る天神山城跡であるが、天守櫓が築かれたとされる高さ5mほどの岩塊をはじめ、堀切や切岸などが確認できる。井戸跡や僅かながら石垣も残るということであったが、あまりの藪のせいか、見付けられなかった。
(2012/05/20登城して)
ギャラリー
天神山城案内図(現地説明板より)
城跡内へは、山の西を走る県道264号線側から入り、山の北側を通り、北東部から入城する。
登城口
この登城口まで右手にはかなり切り立った切岸が確認できる。
城内
城内へ登ると、正面奥に少し高くなった天守台跡が見える。曲輪内はかなりの藪で、写真左側にあるはずの井戸跡に気が付かなかった。
天守台
天守台上部
天守台は、岩がゴロゴロ転がったような状態だが、あまり広くはない。
堀切
天守台の奥には堀切と土塁が確認できる。
東屋が
堀切の奥には、もう一つの削平地(曲輪)があり、東屋が建てられている。
東屋から湖山池を
東屋の辺りから西側が開けていて、湖山池方面が見える。