福寿丸東側虎口前に立つ石碑と説明板
対織田軍に備えて朝倉軍が改造して守備した城郭
所在地
滋賀県長浜市湖北町郡上
【アクセス】
福寿丸へは、小谷城の西側尾根先端部麓にある清水神社のところから、山崎丸経由で登城することも出来るが、折角なので、東側尾根の小谷城から登り、小谷城頂部の山王丸の奥を一旦下りて、六坊跡経由で大嶽城→福寿丸→山崎丸をめぐって下山することをお薦めする。
形状
山城(標高250m、比高150m)
現状・遺構等
【現状】 山林
【遺構等】 曲輪、土塁、空堀、竪堀、石碑、説明板
満足度
★★★☆☆
訪城日
2012/05/19
歴史等
福寿丸は、元亀3年(1572)、対織田軍への援軍としてやってきた朝倉軍が、当時の最新の技術を用いて手直した城郭で、ここを守備していた木村福寿庵にちなんで名づけられた。
『現地説明板より』
現況・登城記・感想等
福寿丸跡は、曲輪・土塁・空堀・竪堀がほぼ完存状態で、規模は小さいながら見応えのある城郭で、その巧みな縄張りは、後の賤ケ岳合戦時に堀秀政が構築した東野山砦を彷彿とさせる。
登城前は、ほとんど期待もしていなかった城址だけに得をした気分だ。
福寿丸は、南北2つの曲輪からなり、南側の曲輪が主郭と考えられる。
北と東に2つの虎口があり、特に東の虎口は迷路状の溜りを設けている。北側には横堀があり、東側斜面には竪堀が穿たれている。
(2012/05/19登城して)
ギャラリー
小谷城(小谷城・大嶽城・福寿丸・山崎丸)と清水谷絵図 ~現地案内板より~
福寿丸鳥瞰図
北側の土塁と空堀
大嶽城から尾根道を20分ほど下りてくると、前方に福寿丸北側の土塁が見えてくる。鳥瞰図と照らし合わせて見ると、写真の土塁左側の空堀のようなのが北側虎口への導入路で、土塁の奥には井楼が建てられていたのであろうか。
北側土塁上から北曲輪を
北曲輪の周囲の土塁も良好に残っている。手前は、北側虎口への導入路。
北曲輪
竪堀
北東部に設けられている竪堀も、藪で分かり辛いが、何とか確認できる。
東側虎口前の石碑と説明板
東側虎口の前には、石碑と説明板が設置されている。
東側虎口と導入路
説明板と石碑の間から城内へ入って、導入路を進むと、直角に左へ曲がるようになっており、枡形虎口様になっているのが、はっきり確認できる。
南曲輪と周囲をめぐる土塁