大嶽城址主郭に設置された城址碑と説明板
小谷城初期の本城
読み方
おおずくじょう
所在地
滋賀県長浜市湖北町丁野
所要時間
小谷城山頂部の山王丸から22~23分
形状
山城(標高495m、比高395m)
現状・遺構等
【現状】 山林
【遺構等】 曲輪、土塁、石塁、空堀(横堀・竪堀・堀切)、木碑、説明板
満足度
★★☆☆☆
訪城日
2012/05/19
歴史等
大嶽城は、浅井氏初代亮政により大永3年(1523)頃に築かれたと考えられ、当初は小谷城の主郭が置かれていたと考えられ、その後、主郭は東側尾根に移った。大永5年には佐々木六角氏に攻められている。
織田軍との戦いで援軍としてやって来た朝倉氏により改造され、朝倉軍が守備していたが、天正元年(1573)8月12日に織田勢の攻撃を受け落城した。
『現地説明板より』
現況・登城記・感想等
広義での小谷城(小谷城・大嶽城・福寿丸・山崎丸)は、根古屋の在った清水谷を囲むように尾根沿いに曲輪を設けた城である。
東側尾根の小谷城から谷を隔てて西方に聳える岩肌を剥き出した山が大嶽城址である。
大嶽城址へは、西側尾根先端部麓にある清水神社のところから、山崎丸・福寿丸経由で登城することも出来るが、折角さから、東側尾根の小谷城から登り、小谷城頂部の山王丸の奥を一旦下りて、六坊跡経由で大嶽城→福寿丸→山崎丸をめぐって下山することをお薦めする。
大嶽城址は、曲輪・土塁・堀切等が残ってはいるが、薮もなかなかのもので、全体像は分かりにくい。
ただ、頂部の曲輪跡はかなり広く、また、塁段になった段曲輪の数も多く、浅井氏初期の城とはいえ、かなりの規模の城であったことが窺える。
(2012/05/19登城して)
ギャラリー
小谷城(小谷城・大嶽城・福寿丸・山崎丸)と清水谷絵図
大嶽城鳥瞰図(現地説明板より)
小谷城頂部の山王丸から望む大嶽城
六坊跡
東側尾根頂部の小谷城山王丸から、尾根伝いに一旦下りると「六坊跡」へ出る。ここからは、かなり急な上り坂になる。尚、ここから左手下に下りて行くと城下町があった「清水谷」へと出る。
六坊は、二代城主久政の時代、領国内にあった6つの有力寺院が置かれたところである。
急な階段を
六坊跡からは、急な階段をひたすら登って行く。道はハイキングコースとして綺麗に整備され、当日も、多くのハイカーを見かけた。ただ、やたらとスズメバチが飛んでいて行く手を阻むのが参った(;´▽`A``。
岩尾からの眺望
六坊から登り始めること7~8分ほどで「岩尾」と書かれた標柱があり、その近くに、ちょっとした削平地があり、眺望が素晴らしい。目の前には東側尾根の小谷城、遠くには伊吹山が見え、横山城も見える。
主郭手前の堀切
六坊から15分ほどで、正面に大嶽城の主郭が現れるが、その手前には堀切が確認できる。堀切は、かなり埋まっており(或いは、埋められており)浅い。
主郭
主郭周囲には、土塁や削平地も確認できるが、季節的に最も植物が元気な時でもあり、それなりに薮も多く全体像は分かりにくかった。
段曲輪
主郭から福寿丸・山崎丸へと、尾根を下りていくと、削平地(腰曲輪)が塁段になっているのが確認できる。
土塁
腰曲輪の幾つかには、土塁もはっきり確認できる。
石塁
土塁の中には、石が積まれた石塁になっているのも見つかる。