出雲 新宮党館(安来市)

新宮党館跡遠景(鳥居のすぐ上が館跡)

尼子氏最強軍団・新宮党の館

所在地

島根県安来市広瀬町新宮
【アクセス】
「道の駅広瀬富田城」の前の道を北東へ100mほど進んだ交差点を右(左は新宮橋)へ進み、450m程東進すると道が二手に分かれるので、左手へ行く。そこから、更に700m程東進すると、左手に「新宮党之零社」の石碑がたっている。ここが館跡への入口。駐車場はないので、道がちょっと幅広くなっている辺りに駐車した。

所要時間

駐車場所から1分

形状

現状・遺構等

【現状】 神社、原っぱ
【遺構等】 石碑、説明板、墓

満足度

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訪城日

2012/05/21

歴史等

新宮党は、尼子経久の次男「国久」の一族衆である。その名称は、一族が新宮谷周辺に居住したことによる。
新宮党は、尼子氏における軍事の中核を担った集団であったが、天文23年(1554)11月、元就の謀略により、主君である尼子晴久によって滅ぼされた。ここに尼子氏の衰運がはじまった。
『現地説明板ほかより』

現況・登城記・感想等

尼子氏の最強軍団「新宮党」の館跡は、月山富田城の北側の新宮谷のちょっとした高台にある。新宮谷は、両側を山に囲まれた鄙びた郷で、何だか懐かしいような・・・。
館跡に、遺構は全く残っていないが、館の広さとしては十分なものがある。
広瀬町には、他にも月山富田城をはじめ、塩冶掃部介や毛利元秋の墓、新宮党尼子氏の奥都城や山中鹿之介生誕の地などある。まさに広瀬町は尼子氏の歴史を思い浮かべながら楽しく廻れる町だ(*^_^*)。
(2012/05/21訪れて)

ギャラリー

「新宮党之零社」の石碑
新宮党館跡への入口には「新宮党之零社」の石碑が立っている。正面奥に見える鳥居の向こうが館跡。
新宮党館入口

館跡は野っ原
鳥居のところから上がって行くと、ただの野っ原。遺構は何も残っていないが、館の広さとしては充分な広さだ。
IMG_1023

新宮党・尼子国久とその子の墓
館跡の片隅には、新宮党を祀る「太夫神社」の祠と、尼子国久とその子誠久・敬久の墓と伝わる石塔がある。
尼子国久他墓

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