社会福祉センター入口に残る僅かな石垣と小さな石碑
松江藩支藩として立藩した広瀬藩の陣屋
所在地
島根県安来市広瀬町広瀬754、広瀬社会福祉センター
月山富田城とは飯梨川をはさんで対岸にある広瀬町の市街地、広瀬社会福祉センター一帯が広瀬陣屋があったところ。
広瀬社会福祉センター:広瀬町広瀬754、0854-32-3305
形状
陣屋
現状・遺構等
【現状】 市街地(社会福祉センターほか)
【遺構等】 石垣、石碑、説明板
満足度
★☆☆☆☆
訪城日
2012/05/21
歴史等
広瀬は、戦国時代、尼子氏が月山富田城を根拠として、山陰・山陽を制覇した頃は全国屈指の町並みを誇ったが、江戸初期の寛文6年(1666)、大洪水に襲われて壊滅した。皮肉にも洪水の起こったそんな年に、松江藩の支藩として広瀬藩が立藩した。
初代松江城主松平直政の次男近栄(ちかよし)は、3代藩主で兄綱隆から3万石を蔵米で分与され、広瀬に陣屋を構えた。後、貞享元年(1684)に封地知行に改められた。
嘉永3年(1850)、直寛(なおひろ)の時に、多年の幕府公使(勅使御馳走役など)の精励を認められて城主格に列せられた。
その後、10代直己(なおおき)の時に明治を迎えた。
『藩と城下町の事典(東京堂出版刊)より』
現況・登城記・感想等
陣屋跡の多くは広瀬の町に埋もれてしまい、今は、社会福祉センター入口のところに石垣の一部と「広瀬松平藩邸跡」と刻まれた石碑が立ち、駐車場に陣屋の見取り図付きの説明板が設置されているのみである。
(2012/05/21訪れて)
ギャラリー
広瀬社会福祉センター入口付近に立つ小さな石碑