本丸西側の階段状の石垣群
築城の名手山崎家治が築いた総石垣の山城
読み方
わかさおにがじょう
所在地
鳥取県八頭郡若桜町若桜
【アクセス】
若桜小学校の脇から若桜弁財天へ通ずる道を進むと登城口の標識がある。また、直進すると城跡へ通ずる城山林道があり山頂近くまで車で行ける。
若桜小学校:若桜町大字若桜801番地5、0858-82-2211
所要時間
駐車場から馬場を通り本丸まで約10分ほど。
形状
山城(標高452m、比高234m)
現状・遺構等
【現状】 山林(国指定史跡、平成20年3月)
【遺構等】 天守台、曲輪、石垣、土塁、空堀、説明板
満足度
★★★★★
訪城日
2012/05/20
歴史等
若桜鬼ヶ城跡は播磨・但馬につながる交通の要衝にある。
そのため、戦国時代において毛利対尼子、毛利対織田などによる争奪戦が繰り広げられた。
築城時期は不明だが、延徳元年(1489)には「矢部館若狭」の記述があり、矢部氏によってこの頃には城が築かれていた可能性が考えられる。一時山中鹿之助による尼子氏再興戦の舞台ともなった。
その後、羽柴秀吉による鳥取城攻めの際には、織田方の拠点として機能し、天正9年(1581)に鳥取城が落城した後は、秀吉の武将木下重堅(しげかた)、関ヶ原の戦後の慶長6年(1601)には、摂津三田から山崎家盛が入城している。元和3年(1617)に山崎氏が備中成羽へ転封となり、池田光政が因伯2国を領す鳥取城主となると、一国一城令により廃城となった。
城郭の遺構は大きく二群に分けられる。山頂部から南北に伸びる尾根の中腹から先端部にかけては、堀切、竪堀が見られ、小規模な曲輪群が構築されている。また山頂付近には、この付近で採れる石材を用いた石垣によって、虎口や天守台等が築かれている。
その構造から前者は戦国時代の山城の遺構で、後者は近世初頭になって新たな築城技術で構築されたと考えられる。
『現地説明板より』
現況・登城記・感想等
若桜鬼ヶ城は、鶴尾山(つるのおやま)山頂(標高452m)に築かれた山城で、現在残る総石垣の城跡は、摂津三田から山崎氏が入城した時に築かれたものという。
さすがに築城の名手山崎家治によって築かれただけあって、打ち込みハギにより築かれた石垣群は素晴らしく、中でも、本丸の西側の階段状になった石垣群は見事なもので、しばらく見とれてしまうほどだ。隅角部には、不完全ではあるが、算木積みが見られる。
若桜鬼ヶ城は、山崎氏が備中成羽に転封されたあと、一国一城令により破却されてしまったそうだが、それでも、これほどの心を惹きつける魅力のある城跡が残っているのだ。否、破却によって、かえってもの悲しさが出て、より一層魅力のあるものになっているのかもしれない。
久し振りに、満足度★★★★★の城跡に出逢えて感激(*^_^*)。
(2012/05/20登城して)
ギャラリー
若桜鬼ケ城案内図(現地説明板より)
登城口
若桜鬼ケ城跡へは、山頂近くまで車で登って行くことが出来る。駐車場には、案内板(左)と縄張図付き説明板(右)が設置されており有難い。
馬場跡
案内板の立つ駐車場へとやって来た道は、馬場跡だったようだ。案内板前から振り返って撮影。
堀切と土塁
登城口から城跡へ向かうと、いきなり右手に堀切と土塁が現れる。城内側の土塁は櫓台跡であろうか?
ホウヅキ段の石垣
登城口から2~3分ほど進むと、正面に立派な石垣が見えてくる。ホウヅキ段の石垣である。
ホウヅキ段東側下の犬走り?
石垣の右(東)側に向かって登って行くと、ホウヅキ段下の犬走りのような細い道があり、その手前に「この先危険! 立入禁止」の札が・・・(;>_<;)。ほんの少しだけ入らせてもらうと、正面奥に本丸東側の石垣が見えた。手前のホウヅキ段の石垣は、確かに多くが崩れ落ちて危険かも?
ホウヅキ段南西面の石垣と犬走り?
西側に廻ると、ホウヅキ段の石垣が奥の方へと続いている。角部は、不完全とはいえ、算木積みのようになっている。
搦手門跡方面へ
犬走りのような細い道を進み搦手門跡へ向かう。右上は本丸石垣で、左奥が搦手門跡。
搦手門跡
搦手門は、大きな石が使われており、ほとんど崩れてしまっているとはいえ、かっこいい(*^_^*)。
搦手門跡から本丸を見上げる
搦手門から、西(手前)下へ下りて行くと六角石垣へ出る。写真正面上は、本丸の石垣。
本丸西面の石垣の下の道を二の丸へと向かう
本丸西側の階段状の石垣群(二の丸跡から撮影)
本丸西面下の細い道を通り、二の丸へ到着し、振り返って見ると、この塁段になった石垣群の光景が・・・。何とも言えず、かっこよく、いつまでも魅入ってしまった。
二の丸から本丸を見上げる
二の丸から見下ろす北西方面の眺望
三の丸と虎口石垣(二の丸跡から撮影)
二の丸の北側下には三の丸が位置する。写真右手前が城外からの虎口であるが、非常に複雑な枡形虎口になっている。どうやら大手門跡らしい。
二の丸から本丸への大手道
本丸への石段
本丸大手虎口
本丸虎口は、この北側と南東隅にあり、こちらが大手虎口で、内枡形になっている。
本丸へ到着
本丸へ到着すると、南隅に天守台石垣が見える。
行き止まり虎口
天守台へ向かって進むと、本丸南東隅(天守台手前)に大きな石が転がっていて、やや窪地になっている。場所的に考えると、これが、若桜鬼ケ城独特の「行き止まり虎口」の跡であろうか? 窪地部分とその周辺には、割れた瓦が散乱していたが、果たして・・・?
天守台
天守台は本丸南側に張り出している。
天守台から若桜町方面の眺望
若桜鬼ケ城は、南側を除き、急崖になっているが、この写真を見ても、如何に高くて、急な崖の上に立地しているかお分かり戴けるでしょう。
六角石垣
搦手門から、北西方面へ100~150mほど下りて行くと、六角石垣がある。北西部の防御を担っていて、多分、ここには物見櫓か何らかの建物が建っていたことであろう。