成羽美術館の周囲に残る陣屋の石垣
旗本交代寄合山崎氏の陣屋
別名
山崎氏御殿
所在地
岡山県高梁市成羽町下原(成羽美術館、成羽小学校一帯)
形状
陣屋
現状・遺構等
現状:成羽美術館、高梁市役所成羽局、成羽小学校
遺構等:土塀、石垣、石碑、説明板
満足度
★★☆☆☆
訪城日
2007/11/16
歴史等
元和3年(1617)因幡若桜(鳥取県若桜町)より山崎家治が3万石で入封し立藩、鶴首城山麓に御殿を築いた。
。
寛永15年(1638)家治は肥後天草富岡(熊本県苓北町)へ移封し、翌16年(1639)常陸下館
(茨城県下館市)より水谷(みずのや)勝隆が5万石で入封したが、3年後の同19年(1642)備中松山へ移封となり一時廃藩となった。
万治元年(1658)、旧藩主山崎家治の次男豊治が5千石の旗本交代寄合格で再入封した。
その後、11代治正の代の慶応4年(1868)、禄高を高直しされ1万2千石の諸侯に列した。
御殿は鶴首山麓に築かれ東西約276m、南北約90m(幅の広いところ)あり、石垣を構築した居館であった。
石垣の高さは高い所は330cmで上手の低い所は260cmである。西の御庫のある石垣は野面積で前藩主の水谷勝隆が築造した所である。
『「藩と城下町の事典(東京堂出版刊)」、「大名の日本地図・中嶋繁雄著(文春新書刊)」、「現地説明板」より』
現況・登城記・感想等
成羽陣屋(なりわじんや)御殿跡は鶴首城跡のある鶴首山麓に沿って、
東から西へと御作事場跡(現成羽美術館)、書院跡(現高梁市役所成羽地域局)、御庫跡(現成羽小学校)が並び、
さらにその西側には外園跡に蓮池が残っている。
そしてそれらの建物の周りには石垣が残っており見応えがある。中でも美術館に残る、
東側の石垣と北側の大手門へと続く石垣はなかなかのものである。また、小学校北側に残る石垣の上には土塀が残り、
内側は武者走りになっている。
山上にある鶴首城にも登城したかったが、
時間の関係もあり断念した。
(2007/11/16登城して)
ギャラリー
山崎氏御殿の図
御殿石垣と鶴首山(鶴首城址)
右下建物は御作事場跡に建つ成羽町美術館。背後の山は鶴首山(鶴首城址)
御作事場跡(現美術館)北側の石垣
建物の周りには石垣が残っており見応えがある。中でも美術館に残る、
東側の石垣と北側の大手門へと続く石垣はなかなかのものである。
大手門跡
明治時代に取り壊されたが、往時は枡形構築で、枡形を取り囲んで正面(北側)に高麗門、南面・
西面にカギ形に石垣、東面に櫓門を造り守りを固めていたとのこと。
御庫門跡と土塀
土塀と武者走り
小学校北側に残る石垣の上には土塀が残り、内側は武者走りになっている。武者走りは長さ100m、
幅180cmある。塀には銃眼(はざま)があったが、現在は塞がれてしまった。
蓮池