ブラチスラヴァ城(ブラチスラヴァ)

ひっくり返したテーブルと称されるブラチスラヴァ城

一時、ハンガリーの拠点となりマリア・テレジアも好んで生活した城

スロヴァキア語名

Bratislavský hrad

歴史等

もともとドナウ川は、ローマ帝国の北を区切る防衛線であり、川沿いには軍事施設や集落が設けられていた。ブラチスラヴァ城のある丘も、ローマ人の重要な拠点であった。
ローマ人が撤退したのち、6世紀から7世紀にかけてこの地に入ってきたスラヴ人たちも、この丘に要塞を築いて防備にあたった。
9世紀、大モラビア王国時代には宮殿及びバシリカが建てられ、行政機関の中心として使われた。
その後、東方からマジャール人がドナウ川に進出し、1000年にマジャール人によって建国されたハンガリー王国の一部となったが、ブラチスラヴァもまた、王国西部国境に近い重要な拠点であった。
1431年から34年にかけて、ハンガリー王(兼ドイツ王)ジクムントは、城を新たに建て替え、今日のブラチスラヴァ城の原型を築いた。
16世紀に入り、バルカン半島から進出してきたオスマン帝国がハンガリー王国の主要部を支配下に収めたため、ブラチスラヴァは1536年以降、ハプスブルク家の国王がハンガリーを治める拠点となった。城は、まずルネッサンス様式に、18世紀にはバロック様式に改装され、女帝マリア・テレジアは好んで、この城で生活した。
しかし、1811年の火災で、城は大きな被害を受け、長い間、ほとんど廃墟となって放置されていた。
第2次世界大戦後、修復され、現在は歴史博物館などとして使われている。
『図説チェコとスロヴァキア・薩摩秀登著(河出書房新社刊)他より』

現況・登城記・感想等

ブラチスラヴァ城は、ドナウ川のほとりの小高い丘の上にある。四角い建物の4隅にそれぞれ塔が建つ外観から「ひっくり返したテーブル」と称されているという。
現在の城は、第2次世界大戦後に復元されたもので、綺麗だが、新しすぎて、歴史的重みは感じない。
城のある丘はよく整備され公園のようになり、市民の憩いの場所となっているようで、当日も、先生に連れられて子供たちが訪れていた。城から見下ろすドナウ川とブラチスラヴァの街並みの景色もなかなかのものだ。
しかし、ブラチスラヴァの魅力は、城よりも旧市街にあるだろう。
ブラチスラヴァは、1993年1月1日にチェコとスロヴァキアが分離して首都になった世界でも非常に若い首都だ。しかも、チェコのプラハのように常に重要な拠点であったわけではないので、それと較べると歴史的遺産は少ないし、街の規模も小さいので見どころが少ないのは否めない。
しかし、旧市街を散策すると、フラヴネー広場周囲にはミハエル門・旧市庁舎・聖マルティン教会・大司教宮殿等々見どころはある。
しかし、それよりも、私が興味を持ったのは、街のあちこちで見かけるユニークなオブジェだ。「ナポレオンの椅子」「パパラッチ」「マンホールの男」等々・・・。
何とも遊び心があって、散策していても楽しく、ブラチスラヴァが妙に気に入ってしまった(*^_^*)。
(2012/05/30訪れて)

ギャラリー

ブラチスラヴァ城絵図(現地案内板より)
私なりに訳してみましたが、さて・・・。
01ブラチスラヴァ城絵図

ブラチスラヴァ城遠景
ブラチスラヴァ市内へ入ると、多くの場所から高台に建つブラチスラヴァ城が見えてくる。
02ブラチスラヴァ城遠景

ブラチスラヴァ城西面
我々の乗るバスは、西側から廻りこむように坂道を登って行った。この辺りから階段を登って城の北側へ登って行くこともできるようだった。
03ブラチスラヴァ城西面

国会議事堂
バスは、城の南西の入口(ウィーン門)の前の広場に停車。ウィーン門の前に、小さなホールのような新しい建物があった。何と、この小さな建物が国会議事堂だそうだ。人口540万~550万の小さな国なので、これで事足りるのでしょう。
スロヴァキア国会議事堂

ウィーン門
さて、このウィーン門をくぐり登城します。
04ウィーン門

登城道
ウィーン門をくぐり、少しなだらかな坂道を登って行くと、左手に宮殿が見えてきて、正面に門があるが、案内板に載ってないので門の名称は不明。
06登城道2

博物館
登城道の左手(宮殿の西)の建物は、現在、博物館になっているようだ。
07博物館

宮殿全景
四角い建物の4隅にそれぞれ塔が建つ外観から「ひっくり返したテーブル」と称されている。現在の城は、第2次世界大戦後に復元されたもので、綺麗だが、新しすぎて、ちょっと違和感が・・・。
08ブラチスラヴァ城全景

宮殿正面
宮殿の前庭には騎馬像が立っている。大モラヴィア王国時代のスヴァトブルク王の像だそうだ。
09ブラチスラヴァ城正面

宮殿の前庭
ミニトラムに乗って小さな子供の団体もやって来た。社会科の見学といったところだろうか。
09ブラチスラヴァ城正面2

見張り台へ
宮殿への入口脇(宮殿の南西)に”Panoramic bastion”が。要するに見張り台があったのでしょう。
10見張り台へ

南西の稜堡
見張り台のすぐ下には稜堡が。ここには防御のための建物があったのだろう。南西端には見張り用の小さな塔、また井戸跡も。ドナウ川をゆっくり進む船とその向こうには新市街が見える。
11南西稜堡1 

南稜堡
南西の稜堡の前は南稜堡。小さな建物は復元されたもののようだが・・・。
12南稜堡建物

宮殿前の空堀
宮殿の前には空堀が掘られていたようだが、宮殿への橋の幅が広すぎるような気もする。
13空堀1 13空堀2

宮殿中庭
宮殿中庭は四方を城館に囲まれているが、あまりにも当たり前の光景(殺風景)でつまらない?
14中庭

井戸
中庭には井戸が残り、今なお、底に水がたっぷり。この城は、かなりの高台にありながら、水には困らなかったようだ。
15井戸1 15井戸2

大モラヴィア王国時代の聖堂(バシリカ)跡
宮殿の東側には9世紀の大モラヴィア時代の聖堂跡や11世紀の教会跡の礎石?が。先程の子供がやってきて説明碑を見ていたが、こちとら、ほとんど(全く?)分からない。「すごい!この子供達、スロヴァキア語が読めるんだ(笑)。

16モラヴィア聖堂跡

【旧市街散策】
ブラチスラヴァの魅力は、城よりも旧市街にあるだろう。旧市街を散策すると、フラヴネー広場周囲にはミハエル門・旧市庁舎・聖マルティン教会・大司教宮殿・オペラ座等々見どころはある。
(ミハエル門1)
ブラチスラバ旧市街へ入るミハエル門。旧市街は城壁に囲まれていて、門が4つあったそうだ。このミハエル門は14世紀に造られたもので、現在この門だけが残っている。他の門は、マリア・テレジアが撤去したそうだ。塔は、もともとゴシック様式でした が、18世紀に玉葱型の屋根を持つバロック様式に改築された。塔の内部は中世の武器博物館になり、5階は展望台になっているようだが、勿論、我々に自由時間はなし(;>_<;)。
18ミハエル門1

(ミハエル門周辺)
ミハエル門の周辺には、僅かだが、城壁が残っているようだ。
18ミハエル門2

(旧市街からミハエル門の塔を)
ミハエル門をくぐり旧市街へ入って行き、振り返って見る塔がかっこよかった。
18ミハエル門3

(フラヴネー広場)
フラヴネー広場は、中世より市の中心広場として使われ、様々な市の催しや集会・処刑などが行われた広場である。今は、土産物の露店やオープンカフェが並び、市民の憩いの広場になっている。広場の中心にある噴水は「ロランド噴水」で、 1572年、当時のオーストリア皇帝マクシミリアン 2世の命を受けて作られたブラチスラバ最古の公共水汲み場。また日・仏・希の大使館の他、政府迎賓館もある。左の建物が旧市庁舎で、塔は仕掛け時計らしい。中央やや右の黄緑色の建物が日本大使館
20フラヴネー広場1

(日本大使館)
大使館には日本の国旗があがっている。海外で見る日の丸の旗って、何となく心が和みます。
IMG_1756

(オペラ座)
22オペラ座

【オブジェのいろいろ】
旧市街のあちこちで見かけるユニークなオブジェ(「ナポレオンの椅子」「パパラッチ」「マンホールの男」等々・・・)は、何とも遊び心があり、散策していても楽しく、ブラチスラヴァが妙に気に入ってしまった(*^_^*)。
(ナポレオン)
フラヴネー広場にあるナポレオンが肘をかけているベンチ。勿論、家内と一緒に記念写真を撮った(*^_^*)。
31ナポレオン

(パパラッチ)
このオブジェ「パパラッチ」がシャッターチャンスを狙っている先は、その名も「Paparazzi」という名前のカフェのテラスです(笑)。
32パパラッチ

(マンホールの男)
ブラチスラバで最も有名な男として知られるという。そりゃそうだろうなあ(笑)。
33マンホールの男1

(マンホールの男のパフォ-マンス)
隣には、こんな人が・・・。ヨーロッパの観光地って、こういう人が多いよねえ。家内は、少しだけ金を払って一緒に記念写真を撮った(笑)。
33マンホールの男2

こんな人も・・・w(*゚o゚*)w
また、こんな人も・・・w(*゚o゚*)w。 急いでいたので、どうなっているのか分からなかった。
34あれっ

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コメント

ナイフ(内府)(2012/06/28)

すごい広大な土地で美しい光景ですねー。
こういうトコに住みたくなるのは僕だけですかねw

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