大森代官所の表門とそれに続く門長屋
石見銀山の運営・管理のための代官所
所在地
島根県大田市大森町宮ノ前、石見銀山資料館(電話0854-89-0846)
形状
陣屋
現状・遺構等
【現状】 石見銀山資料館
【遺構等】 表門、門長屋、石碑、説明板
満足度
★☆☆☆☆
訪城日
2012/05/21
歴史等
江戸幕府は慶長5年(1600)の関ヶ原合戦後、この地方4万8千余石、153ケ村を天領とし、初めは奉行をおき、江戸中期、延宝年間(1673~1681)から、代官に替えて265年間を銀山の運営・管理を行った。
奉行は初代大久保石見守長安以来、59人に及んでいる。明治2年(1869)版籍奉還によって、ここは大森県郡制廃止後は学校、保育所などに利用され現在は石見銀山史料館になっている。
『現地説明板より』
現況・登城記・感想等
大森代官所は、堀の代わりとした銀山川に沿って築かれ、当時の表門と左右に設けられた門長屋が現存している。
現在、正門内は明治35年(1902)に建てられた邇摩郡役所が「石見銀山資料館」として利用されている。
(2012/05/21訪れて)
ギャラリー
表門
表門と門長屋は大森代官所時代のもので、文化12(1815)に建てられたものである。
石見銀山資料館
明治35年(1902)に建てられた邇摩郡役所が「石見銀山資料館」として利用されている。
龍源寺間歩
世界遺産「石見銀山」には、いたるところに掘られた「間歩(銀山の坑道)」があった。「間歩」の中で、唯一見学ができる「龍源寺間歩(大久保間歩は一般公開限定ツアーのようだ)」へ入ってみた。
坑道
入ってみると、坑道は狭い上に天井が低い。手掘りで銀鉱石を採掘した過酷な労働が容易に想像できる。入場時にヘルメットの着用はなく、一緒に行ったMっさんは、いきなりハゲ頭(失礼)をゴツン( ̄ー ̄;。
大久保長安の墓
石見銀山には遊歩道がつくられ、その道端には初代奉行大久保長安の墓がある。