伯耆 船上山城(琴浦町)

山麓から屏風岩を

隠岐から脱出した後醍醐天皇が立て籠もり。行宮を築いた

所在地

鳥取県東伯郡琴浦町

形状

山城(標高615.6m)

現状・遺構

現状:大山隠岐国立公園
遺構等:石碑、説明板

満足度

?????

訪城日

1997/08/14

歴史等

船上山(615.6m)は勝田ケ山・甲ケ山・矢筈ケ山に連なっている。 周囲を取り巻く屏風岩と呼ばれる絶壁は60m~100mの高さがある。
山岳仏教の聖地として大山・三徳山とともに古来より栄えた。 平安時代初期には国宝で伯耆国金石寺銘のある梵鐘を持つ寺院が船上山にあったとも言われる。
元弘3年(1333)閏2月隠岐を脱出した後醍醐天皇は、名和長年に奉ぜられて、船上山に立て籠もり行宮を築いた。そして、 鎌倉幕府方の佐々木清高との間で激しい戦いが繰り広げられ、勝利して、約80日間行在された。この間を船上山朝廷とも言う。しかし、 建武新政の失敗により山頂の寺院は兵火に見まわれ衰退した。
室町時代の享禄3年(1530)に智積寺が創建されたが、戦乱のため江戸時代を待たずに離散した。
現在、山下の竹内の智積寺がその流れを汲んでいる。
『現地説明板(船上山行宮跡)より』

現況・登城記・感想等

船上山は、大山・甲ケ山・矢筈ケ山等々の登山の縦走コースにもなっているようである。
下から見上げる、異様とも言えるような、船上山屏風岩はまさに天然の要害地であり、笠置山城と同じように、 後醍醐天皇得意の逃げ場(岩の山)である。

ギャラリー

屏風岩                       ~クリックにて拡大画面に~
溶岩の冷え固まった険しい断崖が数kmにわたって連なる。

船上山麓にて

船上山への登山口
大山・甲ケ山・矢筈ケ山等々の登山の縦走コースにもなっているようである。

衣掛の松(後醍醐天皇休憩の場所)

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