水の都・西条の陣屋の水堀はお城以上
所在地
愛媛県西条市明屋敷234(西条高校)
形状
陣屋
現状・遺構
現状:西条高校
遺構:大手門、曲輪、土塁、石垣、矢来、水堀、石碑、説明板
満足度(10点満点)
6点
訪城日
2007/05/01
歴史等
寛永13年(1636)伊勢神戸城主一柳直盛は、
郷国西条へ6万8千石で転封になったが、赴任の途次大阪で病没したため、遺領のうち嫡男直重が西条3万石を継ぎ、
次男直家に伊予川之江と播播磨小野で2万8千石、
三男直頼に伊予小松1万石が分け与えられた。直重は西条陣屋を築造し城下町を開いた。
直重の後を継いだ直興は、寛文5年(1665)江戸への参勤遅参、役目不行届の理由で改易となり一柳氏の治政は、30年間で終った。
そのあと、寛文10年(1670)紀州藩主徳川頼宣の次男松平頼純が3万石で入封し、
その後10代200年間松平頼英が明治2年(1869)版籍を奉還するまで、西条は城下町として繁栄した。
徳川家御家門大名であるが、慶応4年(1868)の戊辰戦争には、新政府に恭順し、京都・江戸を警衛し、奥州へ出兵した。
現在、陣屋跡は西条高等学校となっているが、校門となっている大手門、門脇の堤、前濠の石崖、お矢来、濠等に昔の面影が偲ばれる。
『「大名の日本地図・中嶋繁雄著(文春新書刊)」、「現地説明板」より』
現況・登城記・感想等
陣屋跡は西条高校になっている。その正門(陣屋大手門)前の広くて、水を満々と湛えた水堀は、とても陣屋クラスのものではない。
お城でも、これだけの水堀を持つのは少ないのでは?
西条市は、石鎚山の伏流水が一帯に湧き出ている「水の郷・水の都」だそうであるが、高校(陣屋)の周りを散策すると、それがよく分かる。
高校(陣屋)の周りは、全て水堀で囲まれ、特にテニスコート横の矢来と水堀の辺りは特に風情がある。
また、高校の正門(大手門)とその両側に残る腰巻土塁の雰囲気も実に情緒がある。
私も、こんな高校に通ってみたかったなあ。尤も当時の私には、そんな風雅の趣は何処を探しても無かったが・・・・(笑)
(2007/05/01登城して)
ギャラリー
水を満々と湛えた水堀 ~クリックにて拡大画面に~
水を満々と湛えた水堀は、とても陣屋クラスのものではない。お城でも、
これだけの水堀を持つのは少ないのでは?
陣屋大手門(高校正門)
腰巻土塁(陣屋大手門の左右両側には、腰巻土塁が残る)
㊧腰巻土塁とその上に建つ石碑、㊨もう片方の土塁に建つ石碑
広敷門(腰巻土塁横には、広敷門も残る)
矢来と堀(テニスコート横には矢来が残る。
水辺にはカラーの花が良く咲いてきれいだった)
㊧高校裏側の堀と、㊨そこに泳ぐ鯉
正面の堀以外は、それほど広くはないが、高校の周りは全て水堀で囲まれており、水もきれいである。さすがに、
「水の郷・水の都」である。