二階建ての陣屋門、背後にはご神木の楠の大木
伊予川之江と播磨小野で2万8千石の一柳直家の陣屋
別名
一柳陣屋(ひとつやなぎじんや)
所在地
愛媛県四国中央市川之江町
形状
陣屋
現状・遺構等
現状:市街地
遺構等:移築陣屋表門(川之江八幡神社内)、石碑、説明板
満足度
★☆☆☆☆
歴史等
寛永13年(1636)伊勢神戸城主一柳直盛は、
郷国西条へ6万8千石で転封になったが、赴任の途次大阪で病没したため、遺領のうち嫡男直重が西条3万石を継ぎ、三男直頼に伊予小松1万石、
そして次男直家には伊予川之江と播磨小野で2万8千石、が分け与えられた。
直家は、川之江村に陣屋を置いたが、寛永19年(1642)継嗣無く病没してしまった。跡を継いだ養子直次は、伊予の所領を没収され、
播磨小野に1万石で移され、一柳家の川之江藩は足掛け7年で終わってしまった。
その後は、幕府(松山藩御預所)・今治藩・西条藩(一柳家が改易され、紀州松平家の分家が入封)の領地が入り組み、
複雑な統治体制がとられるようになった。
幕府領(松山藩御預所)では、川之江村の一柳家の陣屋跡に松山藩の陣屋が置かれた。
『「四国中央市公式ホームページ」
、「大名の日本地図・中嶋繁雄著(文春新書刊)」参照』
現況・登城記・感想等
陣屋跡は市街地になっており石碑以外何もない。陣屋門が川之江八幡神社にあるが、当神社には古くて立派な門が3つもあり、最初、
間違えてしまい、3つ目でやっと陣屋門に出会った。尤も、陣屋門が一番立派であるが・・・。全国的にみても、陣屋門が残っている例は少なく、
特に2階建ての陣屋門はここしかないそうである。
陣屋門の後方には非常に大きな御神木の楠がたっていた。陣屋門の裏に廻って見ると、陣屋門の中に、無造作に駕籠と弓がぶら下がっていた。
おまけに何故か、不発弾が2個置いてあった?!?。
(2007/05/01登城して)
ギャラリー
陣屋門
全国的にみても、陣屋門が残っている例は少なく、特に2階建ての陣屋門はここしかないそうである。
駕籠と弓!?
陣屋門の裏に廻って見ると、陣屋門の中に、無造作に籠と弓がぶら下がっていた。
何故か不発弾まで・・・?!
おまけに何故か、不発弾が2個???