江戸初期に整備されたという石垣と水堀
徳川家始祖・松平氏発祥の地
所在地
愛知県豊田市松平町字赤原、松平東照宮
形状
館
現状・遺構
現状:松平東照宮、
遺構等:石垣、堀、井戸、曲輪、碑、説明板
満足度
★★☆☆☆
訪城日
1991/05/06
2007/04/28
歴史等
松平氏は徳川家の祖で、この松平郷が発祥の地である。
松平館は、弘安年間(1278~1288)に公家の在原信盛によって築かれたと云われる。
伝承によれば、時宗の遊行僧・徳阿弥が諸国を流浪中、東国から三河の大浜、そして松平郷に入り、土豪在原信重(信盛の子)の婿となり、
松平親氏を名乗り松平城を本拠としたのが始まりといわれている。
3代信光の時、後の徳川将軍家となる松平宗家と、幕末まで松平郷に住した旗本・交代寄合松平太郎左衛門家に分かれた。
信光は松平郷から、岩津・大給・安城・岡崎城へ侵攻し、西三河一帯に進出、一族発展の基礎を築き、松平氏9代目元康(家康)
が徳川に改姓して天下統一を果たした。
家康の死後、太郎左衛門家9代尚栄の時に東照宮が駿河から当地に勧請され、「ご称号の地」として松平郷は幕府から敬われてきた。
『現地案内板より』
現況・登城記・感想等
松平町は、豊田市とはいいながら、相当山奥に入っていった所にあった。
昔の日本の村はこうだったのだろうといった如何にも鄙びた田舎の風景が気に入った。豊田市と云えば「世界のトヨタ」であるが、
この徳川の発祥地「豊田市松平町」もなかなか捨てたものでもない。
(1991/05/06訪城して)
何と、16年ぶりの登城である。前回は岡崎から、山道を相当奥までやってきたというイメージであったが、今は高速道路がすぐそばまで・・・。
とは云いながら、今尚、日本の原形のような山あいの鄙びた郷といった風情が残っているのは嬉しい。
(2007/04/28訪城して)
ギャラリー
松平東照宮
家康の死後、
太郎左衛門家9代尚栄の時に東照宮が駿河から当地に勧請された。
㊧東照宮の水堀と㊨石垣上の石碑
この石垣は、江戸時代初期に整備されたと云われる。
産湯の井戸
松平家では3代松平信光が当館で出生した際、この清水を用いたことから、松平家代々の
「産湯の祝泉」となったと云われている。岡崎城で竹千代(家康)が生まれた際、
この井戸水を竹筒に入れて早馬で届けたという伝説が残っている。
松平家初代親氏の像