近江 永原御殿(野洲市)

徳川将軍が上洛の際に宿泊した城館

所在地

滋賀県野洲市永原

形状

現状・遺構

現状:竹薮、田園、宅地
遺構等:曲輪、土塁、石垣、堀、石碑

満足度(10点満点)

1点

訪城日

2007/12/23

歴史等

永原御殿は御茶屋御殿の遺構です。御茶屋御殿とは徳川将軍が上洛の際に整備した宿泊所を指し、近江には東海道に水口城が、 中山道に柏原御殿、朝鮮人街道に伊庭御殿が、そして中仙道と朝鮮人街道の近くに、この永原御殿が整備されました。
1国に4ヶ所も御茶屋御殿が整備されたのは近江だけです。これは近江が京都に近く、朝廷を牽制するのに最も適した所だったためでしょう。
永原御殿を始め各御殿は、いずれも石垣や土塁を用いた城郭の構造を示しており、御殿が、単なる将軍の宿泊施設だけではなく、 有事に備えた軍事施設の性格を併せ持っていたことを示しています。
幕藩体制が確立した三代将軍以降、将軍上洛の必要性がなくなり、これらの御殿は役目を終え、廃されることになります。永原御殿は、慶長6年 (1601)に徳川家康が最初に宿泊し、以後、家康が6回、二代秀忠2回、三代家光が寛永11年(1634)に泊まったのを最後として、 計10回利用されました。
現在は、石垣の一部と塀の一部と地割が残るだけですが、「御茶屋御殿指図」が残され、堀・土居・塀・石垣に囲まれた郭の四隅に矢倉を設け、 本丸、二ノ丸、三ノ丸がありその広さは約1万459坪に及んだことがわかります。寛永11年(1634)には徳川家光の上洛に備え、 大規模な整備が行われています。
永原御殿の施設としては、草津市の史跡芦浦観音寺の中にある、重要文化財の書院が、ここから移されたものであるとの記録があります。
滋賀県文化財学習シート (遺跡編)より』

現況・登城記・感想等

永原御殿跡は田圃の中の荒れ果てた竹薮になり、その前に石碑が建ち、それとなく分かる土塁と堀跡らしき畑が、 ここに御殿があったことを教えてくれる?ただ、あまりの藪で中にはとても入っていく勇気はなかった。
すぐ隣の土安神社に「平家妓王の里めぐり周辺案内図」があり、「御殿の石垣が残っているよ!」となっていたので探したが、 ここも草茫々で分からなかった。
(2007/12/23登城して)

ギャラリー

平家妓王の里めぐり周辺案内図
ここ野洲は、妓王・妓女の生地であり、御殿よりもこちらがメインらしい。地元の方に御殿のことを聞いたが、 全く興味がなく、「妓王寺」と「妓王屋敷跡」をやたらと勧められた。この藪だもの、当然だろうね!

永原御殿全景
ナビに「永原御殿跡」というのが出てきたので、少しは期待したが、田圃の中のただの竹薮。

土塁?石垣も残ってるよ!???
それとなく分かる土塁と堀跡らしき畑が、ここに御殿があったことを教えてくれる?ただ、 あまりの藪で中にはとても入っていく勇気はなかった。すぐ隣の土安神社に「平家妓王の里周辺案内図」があり、「御殿の石垣が残っているよ!」 となっていたので探したが、ここも草茫々で分からなかった。

トップページへ このページの先頭へ

コメント

この記事へのコメント

名前

メールアドレス

URL

コメント