本慶寺山門として移築された城門
高須城主高木氏の縁者高木正家の城、関ヶ原合戦で西軍につき没落、廃城
所在地
岐阜県海津市南濃町津屋2017(本慶寺一帯)
形状
平山城
現状・遺構等
現状:本慶寺
遺構等:城門、空堀、土塁、石柱、説明板
満足度
★☆☆☆☆
訪城日
2007/11/26
歴史等
津屋城は、関ヶ原合戦まで高木八郎左衛門正家が居城していたが、慶長5年(1600)の関ヶ原合戦の時、
西軍に従ったため没落し廃城となった。
正家は、高須城主高木十郎左衛門の縁者であり、
十郎左衛門は高須旧記によると、文禄元年(1592)~慶長5年(1600)8月まで高須城主に在り豊臣秀吉の旗下と伝えられる。
現在は、慶長8年(1603)に当時の領主徳永寿昌(高須城主)
の許しを得て移された本慶寺となっている。寺を中心とした付近一帯が城跡で、主郭部は境内にあるが付近は道路が通じた住宅が建ち、
全容は明らかではない。
『現地説明板より』
現況・登城記・感想等
お寺の山門前に、城址石柱と説明板が建っている。山門は城門が現存移築門らしい。また、お寺の背後から南にかけて、一部、
土塁や堀が残っている。
説明板に、城郭の配置等が詳しく書かれているが、西高東低の傾斜地になって、塁段になっているような感じがするだけで、
ほとんど分からなかった。
(2007/11/26登城して)
ギャラリー
城門(現存移築門)
土塁と堀
お寺の背後から南にかけて、一部、土塁や堀が残っている。この写真はお寺の南。
土塁跡(右側)は草茫々、堀跡(左側)は竹薮になっていたが、堀は結構深く、割合大規模であったようだ。