美濃 菩提山城(垂井町)

本丸へ通じる土橋

戦国時代の名軍師竹中半兵衛の城

別名

岩手城

所在地

岐阜県垂井町

形状

山城(標高402m)

現状・遺構等

現状:山林
遺構等:曲輪、土塁、空堀、竪堀、堀切、土橋、虎口、碑、説明板

満足度

★★★★☆

訪城日

2007/11/26

歴史等

戦国乱世の頃、岩手氏(岩手弾正左衛門頼重)は、この菩提山に本拠をおき、近江と美濃の間に勢力を張っていた。
永禄元年(1558)竹中遠江守重元は、現在の揖斐郡大野町にいたが、岩手弾正を攻略し、翌2年(1559)ここに城を築き、 現在大垣市の福田・長松と岩手付近一帯を領し6千石の領主となった。
戦国時代の軍師として知られた竹中半兵衛重治は重元の子で、永禄3年(1560)に重元が没するとこの城の城主となった。重治は、織田信長・ 豊臣秀吉に仕え重用されたが、天正7年(1579)播州三木城攻めの陣中で病死した。
半兵衛の嫡男・重門は、関ヶ原の合戦では東軍に属し、旧好の黒田長政と共に石田勢を攻め戦功をあげた。戦後は、 6千石の交代寄合旗本となって菩提山城を廃し、麓の岩手陣屋を整備して居を移した。
『現地説明板参照』

現況・登城記・感想等

菩提山城(ぼだいさんじょう)は、遊歩道が非常に綺麗に整備されたハイキングコースになっており、気持ちよく散策できる。
冬至も間近い季節で、時刻も15:00近い。登城口にある説明板によると山頂まで約60分となっている。しかも、 山容を見上げると比高は200m以上はありそうだ。どうしようか迷ったが、かの竹中半兵衛の城である、 どうあっても登ろうと意を決して登り始めた。
綺麗に整備がされてはいるものの、結構急な階段が続く。それをひたすら登っていくと、30分ほどで城域(番所址・三の丸付近)に入った。
そこから本丸方面へ進むと、虎口があり、二の丸下の台所郭を左手下に見ながら登って行くと、見応えのある空堀があり土橋が通っている。 その土橋を渡り本丸へと出る。本丸までは登り始めてから35分弱で到着した。
本丸からの眺望はなかなか良い。本丸東側と北側には腰郭があり、南側の二の丸との間は、先程の虎口前の空堀と三日月堀の二重堀になっている。
三の丸の南側には出丸との間と、さらに出丸の南側には見事な大堀切がある。
(2007/11/26登城して)

ギャラリー

菩提山城縄張図(本丸跡説明板より)

登城口にある案内板
登城口にある説明板によると山頂まで約60分となっている。

登城口と菩提山城遠景(菩提山城は正面の山の奥?)
しかも、山容を見上げると比高は200m以上はありそうだ。どうしようか迷ったが、 かの竹中半兵衛の城である、どうあっても登ろうと意を決して登り始めた。

整備された遊歩道
綺麗に整備がされてはいるものの、結構急な階段が続く。それをひたすら登っていく。
 

分岐点
20分ほどで、鉄塔が建つ岩崎神社への道との分岐点へと着いた。ここからの眺めも良い。

堀底道のような道
分岐点からは、このような堀底道になる。これは、往時のものではなく整備したものであろう。

土橋
堀切というよりも、土橋の両側から竪堀が山裾へと落ちている。

上写真両側の竪堀
 

番所址(城内側から撮影)
右側が高い台(削平地)になっており、何らかの建物があったのであろう。

二の丸下の虎口
正面の虎口を入り、左側下に台所郭を見ながら本丸へと進む。

台所郭

土橋
本丸手前には見応えのある空堀があり土橋が通っている。その土橋を渡り本丸へと出る。

空堀

本丸
本丸からの眺望はなかなか良い。写真右側下は絶壁になっている。

本丸東側下の腰郭

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