戦国時代の軍師竹中半兵衛の子・重門が構えた陣屋
別名
岩手陣屋、竹中氏館
所在地
岐阜県不破郡垂井町岩手(岩手小学校:垂井町岩手619-2 一帯)
形状
陣屋(平城)
現状・遺構
現状:岩手小学校 、岩手幼稚園、資料館、宅地
遺構等:櫓門、石垣、堀、土塁、碑、説明板
満足度(10点満点)
4点
訪城日
2007/11/26
歴史等
天正16年(1588年)、竹中半兵衛重治の子・重門がそれまでの居城菩提山城を廃して麓に陣屋を構えた。
関ヶ原の合戦では領地が戦場となったが竹中氏は東軍に属し、旧好の黒田長政と共に石田勢を攻め戦功をあげた。
戦後は、6千石の交代寄合旗本となって陣屋を整備し、明治まで続いた。幕末の当主重固は陸軍奉行をつとめ、戊辰戦争を幕府側について戦った。
『現地説明板参照』
現況・登城記・感想等
現存の櫓門が残り、石垣や堀もよく残っていて、なかなか絵になる光景である。
櫓門を入ると馬隠し?の石塁も残っている。また、櫓門裏側に廻ると、武者走り風の石段があり、陣屋とはいえ、
小さいながらもまさに城そのものである。
櫓門の前には、秀吉の軍師で名高い竹中半兵衛の銅像が建っている。
また、500mほど北にある禅幢寺には竹中半兵衛の墓がある。
(2007/11/26登城して)
ギャラリー
堀と石垣と櫓門
現存の櫓門が残り、石垣や堀もよく残っているこの光景はなかなか絵になる。
馬隠し?の石塁(櫓門を入ると馬隠し?の石塁が)
櫓門を内側から
櫓門裏側に廻ると、武者走り風の石段があり、陣屋とはいえ、小さいながらもまさに城そのものである。
櫓門の北側の石垣
櫓門の北側はあまり整備がされていないが、石垣がよく残り、堀跡の感じもよく分かる。
竹中氏菩提寺「禅幢寺」
櫓門から500mほど北にある禅幢寺は竹中氏の菩提寺である。現在の本堂は、竹中半兵衛重治の孫・
重常が寛文3年(1663)に建立したものである。
㊧禅幢寺墓所、㊨竹中半兵衛の墓
時代を感じさせる見事な石垣が築かれていて、その上の奥の方に竹中半兵衛の墓があった。
竹中半兵衛は、天正7年(1579)播州三木の陣で病没した。
この墓は、天正15年(1587)父の菩提を弔う為、嫡男重門が三木から移葬したものである。