信濃守護職小笠原氏幕下の桐原氏が林城の支城として築いた城
所在地
長野県松本市入山辺8807
形状
山城
現状・遺構
現状:山林
遺構等:曲輪、石垣、土塁、堀切、竪堀、空堀、説明板
満足度(10点満点)
?(かなり良さそう)
訪城日
2007/12/09
歴史等
室町時代にかけて信濃国守護として君臨した小笠原氏の幕下で、桐原の地を領した桐原氏が、林城の支城として構築し、寛正年代
(1460~)から桐原氏5代に渡って相伝したといわれるが、天文19年(1550)林城と共に落城し、その後廃城とされた。
林城の支城として小笠原氏防衛線の一連の城砦として山辺谷の入口を防衛する重要な位置にあった。
『現地説明板より』
現況・登城記・感想等
登城口を探すのに手間取った。桐原の部落で道を聞くと、「林城は整備されているけど、桐原城は誰も登らなくなったから、登れるかなあ?
」と言われながらも、説明板のある場所と、以前はそこから登ったと教えてもらった。この説明板の場所は地元の人に聞かないと、
まず見つからないのではと思われる。部落内の道が非常に狭く、場合によってはとんでもない行き止まりの道へと入ってしまう。
説明板の前の空地に車を置き登りはじめたが、登城道がよく分からず、取り敢えず山の西側の方に廻ると、
山裾に発掘調査中のようでブルーシートが何ヶ所かに被せられていた。一部は露出されていたが、傾斜地でもあり、
建物礎石等とは考えられないし、それが何かよく分からなかったが、一部に石垣があった。
さらに進んで行くと、虎口のような所に出た。その山側には、竪堀のようなのがあり、石垣も見つけた。
ここが本来の登城口かもということで、東の方へ戻ったが、やはり登城道らしきものがないので、直登した。しかし、
45度以上はあろうかという急斜面、おまけに落ち葉があまりにも多く滑ってなかなか登れず10~15分ほどうろうろしながら登った。
結局直登は諦めて降りて行くと、東の方へ廻る道を見つけた。
これがどうやら登城道らしいと、何ヶ所か石垣の崩れたようなところ見つけたりしながら歩いて行くと、今度は倒木に阻まれてしまった。
それでも強引に進んでいったが、ついにとても通れないようになってしまった。
再度、西の方へ廻ったが、結局登城道は見つからず諦めた。
見事な石垣等が残っているようであるし、いつか再挑戦したいものである。リベンジするぞ!!
(2007/12/09登城して)
ギャラリー
桐原城全景と説明板
この説明板の左側に車を置いて登城始めた。ここから見ると比高100m程度ですんなり登れると踏んだのだが・
・・。この辺りには明治時代には桐原学校というのがあったらしい。
山裾は発掘調査中でブルーシートが
山の西側の方に廻ると、山裾に発掘調査中のようでブルーシートが何ヶ所かに被せられていた。
何の発掘調査?
一部は露出されていたが、傾斜地でもあり、建物礎石等とは考えられないし、それが何かよく分からなかった。
発掘調査の中に石垣が
この石垣は、角が算木積みのようになっており、かなり高等なものである。桐原城は、1550年に落城し、
その後廃城となったというが、戦国時代中期にこのような積み方が存在したのだろうか??
西側の虎口?
虎口傍の竪堀?と石垣
直登も断念
45度以上はある急斜面、
おまけに落ち葉があまりにも多く滑ってなかなか登れず10~15分ほどうろうろしながら登ったが、結局直登は諦めた。
登城道?傍で見かけた崩れた石垣
山の東側に登城道らしき道を見つけ歩いて行くと、道端に何ヶ所も崩れた石垣に出会った。
登城断念
㊧今度は倒木に阻まれてしまった。
㊨それでも強引に進んでいったが、ついにとても通れないようになってしまった。ギブアップ!!