城山小学校内に聳える大木の下に設置された説明板
斎藤道三の客分高木彦左衛門が居城、信長が寄ったことも
所在地
岐阜県海津市南濃町駒野1317(城山小学校一帯)
形状
平山城
現状・遺構
現状:城山小学校
遺構等:土塁、説明板
満足度
★☆☆☆☆
訪城日
2007/11/26
歴史等
正暦年間(990~994)船岡山と称されていた小丘に初めて城を構えたのは瀬戸道明寺であったと伝えられる。
文治・建久年間(1185~98)には守護職土岐氏が城を築き守将を置いた。
承久年間(1219~1222)伊藤裕朝が守将となり、12代裕長に至り天文16年(1547)滅亡した。
その後は、斎藤道三の客分高木彦左衛門が居城していた。
織田信長が領国巡視を行った時、駒野城に入ったともいう。信長没後、信雄方についた駒野城の高木貞利とその一族は、天正12年(1584)
秀吉方の筒井順慶らと戦ってこれを退却させた。
その後、秀吉の天下となったため高木氏は開城し、一族は離散した。
慶長5年(1600、)石田三成が南濃を巡察した時、桑名から大垣への守りのために塁壁を構えさせたと云われる。
関ヶ原合戦後、駒野城は廃城となり、高須藩松平氏の所領となったが、明治35年城山小学校敷地として寄付された。
『現地説明板より』
現況・登城記・感想等
駒野城跡は、崖の上の高台にあり小学校になっており、それとなく往時を偲ばせてくれる。ただ、
遺構としては体育館奥に立派な土塁が残るのみである。
体育館の奥の土塁傍まで行きたかったが、最近のご時世では、どうも小学校の奥までは入って行き辛い。
(2007/11/26登城して)
ギャラリー
駒野城跡は城山小学校になっている。どうも最近のご時世では小学校へは入って行き辛い。
校門を入って50~60mほどの所に大木があり、その下に説明板が設置されている。
駒野城遠景
奥の森の辺りに土塁が残っている。