宇都宮城の南方を固める支城
所在地
栃木県河内郡上三川町上三川
(しらさぎ幼稚園:上三川町上三川5095、TEL0285-56-2098)の南
形状
平城
現状・遺構
現状:城址公園、市街地
遺構等:曲輪、土塁、水堀、説明板、石碑
満足度(10点満点)
3点
訪城日
2008/01/15
歴史等
上三川城(かみのかわじょう)は建長元年(1249)、宇都宮氏の一族である横田越中守頼業が築き、348年間続いた城である。
宇都宮氏第5代当主頼綱の次男頼業はまず横田(宇都宮市兵庫塚)に築城し、横田氏を名乗ったが、建長元年(1249)
上三川に新たな城を築いて移った。
以後上三川城主は横田家であったが、第7代師綱の時の、康暦2年(1380)、主家宇都宮氏と小山氏が合戦した裳原(宇都宮市茂原)
の激戦で師綱とその長男綱業が重傷を負ったため、今泉郷に住む綱業の弟・元朝が上三川城主を継ぎ、今泉を姓とした。
第14代(15代の説もある)高光の時の慶長2年(1597)、芳賀高武に攻められて落城した。
現在では本丸を残すのみであるが、元は東西400~500m、南北1,000mの範囲に土手を巡らせた郭がいくつも並んだ、
広大で堅固な構えを見せた城であった。
『「現地説明板」、「上三川町役場ホームページ」
より』
現況・登城記・感想等
城址公園の東側の駐車場入口に石碑があり、説明板が設置されている。
そこから橋を渡り、城内へ入って行くと、楕円形をした本丸へと出る。周囲には高くて綺麗な土塁が巡らし、それが観客席のようで、
まるでサッカー場へ来たのかと間違えるような光景である。
土塁上は遊歩道になっており、一周することが出来る。
北西隅には「銀明水」と表示された井戸があるが、その由来等は説明がなく分からない。
上三川城址は、城址公園としてあまりにも綺麗に整備され過ぎていて、中世城址の雰囲気(或いは風格?)
を偲ぶことが出来ないのは残念であるが、このようにして城址を残し、多くの方に興味を持ってもらい、
訪れてもらうためには止むを得ないのだろう。
(2008/01/15登城して)
ギャラリー
駐車場からの登城口
城址公園の東側に駐車場があり、そこから綺麗に整備された水堀に架けられた橋を渡り入城する。
写真奥の石垣は、公園整備時に組んだものであろう。
橋から北西隅の土塁上に建つ東屋を
橋の手前から北側を見ると、水堀や土塁が綺麗に整備され、石垣まで組まれていた。
北西隅の土塁上には東屋が建てられている。
本丸内(南西隅の土塁上から撮影)
城内へ入って行くと、楕円形をした本丸へと出る。周囲には高くて綺麗な土塁が巡らし、それが観客席のようで、
まるでサッカー場へ来たのかと間違えるような光景である。
土塁上の遊歩道(土塁の上は遊歩道になっており、一周できる)
銀明水
北西隅には「銀明水」と表示された井戸があるが、その由来等は説明がなく分からない。