伊達政宗の軍勢の攻撃にも落城しなかった須賀川二階堂氏の支城
別名
牛ケ城
所在地
福島県岩瀬郡天栄村大字大里字向館(武隈神社裏山)
形状
山城
現状・遺構
現状:山林
遺構等:曲輪、土塁、空堀、標柱、説明板
満足度(10点満点)
3点
訪城日
2008/09/30
歴史等
大里城(別名:牛ケ城)は、室町時代に築かれた山城で、須賀川二階堂家の家臣・矢田野安房守が守っていた。
天正18年(1590)、伊達政宗の軍勢に攻められ一戦を交えた。
大里城西南の関場山に政宗の右腕・片倉小十郎の指揮する大軍が、南東方向の羽黒山には石川昭光率いる軍が陣取り、
大里城目がけての激しい攻撃をした。
一方、耐え守る大里勢は本丸に城代家老桑名因幡をはじめとして、一騎当千の兵たちが二の丸、三の丸でも敢然と立ちはだかり、
勇猛果敢且つ頭脳的戦略で落城しなかった。
これにより、大里城は、のちのちの世まで難攻不落の名城と云われ、その名は近隣に聞こえ、数々の武勇伝も残した。
『現地登城口説明板より』
現況・登城記・感想等
武隈神社の裏山が大里城址である。国道294号線と県道282号線の交わる交差点のすぐ北の西側に登城口があり、
説明板が設置されている。
幸い、近い内に祭があるらしく、登城道の草が綺麗に刈られていたので助かった。
登城口から頂上部の本丸跡までは、山城らしい曲がりくねった道を登って行く。登り始めて、しばらくすると正面に本丸の切岸が見えてきて、
5~6分ほどで頂上部の本丸・二の丸間の虎口へと出る。
虎口の右側が本丸で、左側は二の丸である。そこをさらに奥へと行く道(多分三の丸、四の丸へと続くのだろう)があったが、時間の関係で、
そこまでにした。
本丸はかなりの広さである。二の丸は狭く、周りは絶壁になっており、「難攻不落の名城」と云われたのもうなずける。本丸(虎口)
側には低いが土塁跡のようなのがあったが・・・?
高台にあるが、木々に遮られ眺望はあまりよくなく、二の丸の南方面だけが開けている。
取り立てて見どころのある城址ではないようだった。
(2008/09/25登城して)
ギャラリー
登城口
国道294号線と県道282号線の交わる交差点のすぐ北の西側に登城口があり、説明板が設置されている。
この登城道を見て、ちょっと期待したが・・・。
登城道
山城らしい曲がりくねった道を登って行く。
本丸切岸
登り始めて、しばらくすると正面に本丸の切岸が見える
㊧本丸への階段と虎口
㊧最後の登り道を登りきると、㊨本丸と二の丸の間の虎口(右)へと出る。奥が本丸、手前に二の丸がある。
写真奥には三の丸、四の丸への道が続いている。
本丸
本丸は結構広く、道よりやや高い。
二の丸
二の丸は狭く、周りは絶壁になっており、「難攻不落の名城」と云われたのもうなずける。本丸(虎口)
側には低いが土塁跡のようなのがあるが・・・?
二の丸から南方面の眺望
高台にあるが、木々に遮られ眺望はあまりよくなく、二の丸の南方面だけが開けている。