登城口の枡形石垣
芦名氏同族の猪苗代氏代々の城、芦名氏を裏切り摺上原合戦に
別名
亀ケ城
所在地
福島県耶麻郡猪苗代町古城跡
形状
平山城
現状・遺構等
現状:亀ケ城址公園
遺構等:曲輪、土塁、石垣、空堀、井戸、説明板
満足度
★★★★☆
歴史等
三浦氏の一族である佐原義連は、奥州征伐の功により源頼朝より会津4郡を与えられた。
その子盛連(芦名氏2代)には6男があり、長男経連が猪苗代を領して猪苗代氏を称した。経連は、磐梯山南麓の弦峯の地に建久2年(1191)
猪苗代城を築いたと伝えられる。
このように、猪苗代氏は芦名氏と同族である。しかし代が下るにつれてたびたび宗家の芦名氏と戦うようになり、
やがては芦名氏に臣従したものの、時至れば独立しようとの野心は常に胸中に秘めていた。
芦名氏が人取川合戦、郡山対陣などで次第に伊達政宗の勢力に圧迫されていくのをみて、伊達政宗から誘いを受けた猪苗代城14代目城主盛国は、
天正14年(1586)、今こそその機会とばかり宗家の芦名氏を見捨てて伊達方に帰順した。
怒った芦名義広は6月、1万6千余騎を率いて猪苗代に迫った。政宗もまた2万3千余騎を率いて猪苗代城に入った。そして5日、
両軍は摺上原で激突した。いわゆる摺上原の合戦である。
この日の朝、西風が吹いて風下にいる伊達軍は苦戦を強いられたが、やがて風が東に変わると形勢は逆転し、芦名勢は総崩れとなった。
芦名義広は、わずかな旗本に守られて本拠の黒川城
(のちの若松城)に退いたが、政宗の追撃を受けて常陸の佐竹氏を頼って落ち延びた。こうして鎌倉以来の名門芦名氏は滅亡し、
その黒川城には伊達政宗が入り、
猪苗代城には城代が置かれた。
天正19年(1591)政宗は豊臣秀吉の命により、岩手沢城
(のちの岩出山城)に移封され、14代にわたって猪苗代城主であった猪苗代氏も、伊達氏に従い会津を去り、子孫は仙台藩士となった。
黒川城(若松城)には蒲生氏郷が松阪より入封し、猪苗代城は支城として町野左近が2万8千石で配された。蒲生氏以降上杉氏、
再度蒲生氏、加藤氏と続くがその間ずっと若松城の支城として存在した。
寛永20年(1643)若松城に保科正之が入城したあとも一国一城令の例外として存城し城代が置かれた。
明治元年(1668)、戊辰戦争時に官軍が迫ってきたため城代高橋氏が城に火をかけ炎上し、そのまま廃城となった。
『「現地説明板」、「歴史と旅・日本城郭総覧(秋田書店刊)」、「日本城郭大事典(新人物往来社刊)」他参照』
訪城日
2005/03/20
2008/09/30
現況・登城記・感想等
とにかく今年の雪はすごく、3月末だというのに城山は全く雪の中。
何とか隣にある神社から、1m以上積もった雪の中を登った。誰もこんな雪の中を歩く人もいないだろうと思ったが、
一人分の足跡とスキーのシュプールが2筋だけ残っていた。
ほとんど全てが雪の中で、石垣が所々一部見えるだけといった状態であったが、ともかくも本丸まで登った。
本丸からは磐梯山がくっきりと見え、なかなか良かった。
しかしながら、どこに何があるかほとんど分からなかったし、歩き回るのも不可能だった。今度は雪の無い時に再度来てみたいものだ。
(2005/03/20登城後に)
3年半ぶり、2度目の登城だ。前回(2005/3/20)の深い積雪の中の強行軍を思い出しながら見て廻った。
今回は、山麓の多聞櫓と枡形の石垣をはじめ、門や石段、本丸や二の丸周囲の土塁や石垣、本丸を囲む帯曲輪や、
それらを囲む土塁をじっくり見て廻ることができた。
そして、それら全てが絵になる美しい造りをしており、この城が小さいながらも見応え充分な城址であることが分かった。
前回、唯一印象に残った本丸からの磐梯山も、多少霞んでいたもののよく見え、ラッキー!
(2008/09/30登城して)
ギャラリー
【縄張り図】(現地説明板より)
【大手側から城址を】 ㊧今回。㊨前回 ~両写真ともクリックにて拡大画面に~
前回は雪のため、石垣等は全く見えなかったが、今回は多聞櫓台石垣(左写真の右側の石垣)
も枡形石垣もよく見える。

【枡形から登城】
前回は、ここから登城するなんて、とても考えられなかった。
【石段を登城する】
枡形から入城すると、この美しい石段へと出る。木漏れ日の中を登城するのは実に気持ちが良い。
【本丸東側二段下の石垣】 ㊧今回、㊨前回 ~両写真ともクリックにて拡大画面に~
前回は、まさかこんな立派な石垣があるとは想像もしなかった。

【本丸東側下への石段】
前回は、ここは雪に埋もれていて全く分からなかったが、見事な石段だ。ここを登ると正面は土塁で阻まれ、
左右へ直角に曲がることになる。右は本丸へ、左は本丸南の土蔵のあった曲輪(鈴木啓氏の概略図によると二の郭)
へと門をくぐって入ることになる。
【門跡】
上写真石段を登り、左へ曲がると、石垣が残る門台跡へと出る。石垣の向こうが本丸。
【本丸南東石垣の所から磐梯山を】 ㊧今回、㊨前回 ~両写真ともクリックにて拡大画面に~
上写真の左側の石垣の所から撮ったものである。前回は、雪に埋もれていて、
ここに石垣があるなんて知らなくて、ただ雪と磐梯山がかっこよくて写真を撮っただけだったが・・・。

【本丸南の土蔵のあった曲輪】
この曲輪は、現地説明板では単に土蔵しか記されてないが、鈴木啓氏の概略図によると二の郭だという。
ここも周りを土塁がめぐり、所々に石垣も残っている。また、野口英世像もあるが、前回登城した時は、頭だけ出ていた。
やはり1m以上積もっていたんだ!!
【本丸南西隅の石垣】 ㊧今回、㊨前回 ~両写真ともクリックにて拡大画面に~
どういう訳か、ここの石垣だけは、前回も全て露出していた。
決して日当たりも良さそうではないのに何故だろう?

【本丸】 ㊧今回、㊨前回 ~両写真ともクリックにて拡大画面に~
前回は、本丸周囲の土塁がこんなにかっこよく、また良好に残っているとは思ってもみなかった。
ここから眺める磐梯山は、季節に関わらず素晴らしい!!

【本丸】 展望台上から撮影
本丸は、まる~く、その周囲を土塁がめぐっているのがよく分かる。
【二の郭】
この城址は、どこも土塁が良好に残っている。また、その土塁が向こうの方へと延びている光景は美しく絵になる。
【二の郭西下の帯曲輪】 ㊧今回、㊨前回 ~両写真ともクリックにて拡大画面に~

【硝煙蔵と番小屋のあった南下の曲輪】
㊧前回、㊨今回 ~両写真ともクリックにて拡大画面に~
前回は北東から撮ったが、今回は北西から撮ったが、前回の場所から撮るべきだったようだ。

【最も南にある空堀】
前回は、とてもこんな場所まで入っては来れなかった。じつに美しい空堀だ!!
【西側下の帯曲輪】
西側下の帯曲輪は庭として綺麗に整備されているが、往時も庭があったのだろうか?井戸
(写真中央やや左に赤い蓋がしてある)も残っている。その後ろの曲がりくねった土塁も実に美しい。
【城址西の公園から磐梯山を】 ~クリックにて拡大画面に~
城址の西に綺麗に整備された公園があり、往時の水濠跡のようなのもあったが、果たして・・・。
どうなのだろう?ここからの磐梯山も見事だ。
