伊勢 阿倉川城(四日市市)

阿倉川城跡とされる海蔵川左岸

室町時代、舘氏代々の城

所在地

三重県四日市市東阿倉川

形状

平城

現状・遺構等

【現状】 宅地
【遺構等】 なし

満足度

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歴史等

室町時代、舘氏代々の城。
天正元年(1573)には田原氏(浜田氏)との間で阿倉川の合戦があったという。

現況・登城記・感想等

阿倉川城址とされている海蔵川の北側(近鉄名古屋線の西側)辺りは、子供の頃は田んぼしかなかったが、今ではすっかり住宅地になり、海蔵川の堤防の桜並木がきれいだ。
ただ、城跡とされる辺りは、非常に低地で、城の立地には向かないような気がするのだが、沼地に浮かぶ城であったのかも?
尤も、500mほど西の西阿倉川の浄覚寺が城跡だという説もあるようで、同寺境内の墓地には阿倉川城主と同じ館姓の墓がいっぱいです。
(2011/04/17)

ギャラリー

城跡南を流れる海蔵川堤防の桜並木
堤防北側(写真左側)が城跡とされる。
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もう一つの城跡説の浄覚寺
当寺の境内にある墓所には、阿倉川城の城主と同じ館姓の墓がいっぱいたっています。また、一方の城跡とされる東阿倉川(現万古町)で発見された五輪塔数基が同寺に保管されているそうです。
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コメント

舘 尚志(2018/07/22)

東阿倉川在住の舘と申します。
海蔵小学校在学中に、先祖舘家の由来に興味が湧き、20代の頃より調査を
始めました。
源平騒乱期の阿倉川城(当時は館)は、現在の西阿倉川浄覚寺と思われます。
当時の館の規模・配置から、館の敷地外に氏神を祀っており、現在の
浄覚寺北側小道、直線数十m北進に、御厨飽良河神社がありますが、
元は舘家氏神と想定しております。
室町・戦国期の阿倉川城主郭は、現在の阿倉川郵便局北西(唯福寺北西)の
小高い現住宅地(字城の腰と言い、古くから舘家密集)、城の規模は東端が
近鉄阿倉川駅、西側が竹政製陶所までの約800m、中間地点に阿倉川城主郭
想定地があり、古くから「字城の腰」と言う。~腰とは⇨中間、物事の中途、
肝心、重要の意。これを当てはめると城の中間、要。主郭では??
城の南側は、海蔵神社西→唯福寺→万古広場近くにかけての傾斜地。
万古広場周辺小高い所(近鉄線周辺)は防御の為の出城では…と想像です。
城の北側は、東阿倉川イヌナシ自生地中央の用水路→阿倉川市場北西の用水路
→阿倉川駅北側踏切辺りまで、道路下部をコンクリート菅?で用水路?を堀とし、お隣り羽津城との境界線ではなかったのか??と想像しております。
ここで、東西約800mについてですが、同時期の伊坂城の規模を例にして、
発掘調査によると、ここも東西約700mの小高い丘で、一族郎党の住居がありました。海蔵小誌によると、室町期には東阿倉川住民は高台に住みだしたともあり、阿倉川城敷地内に一族郎党の住居があったと思われます。
まだまだ調査途中で想定も多いのですが、後世の郷土史好きに手掛かりとしても、伝承されて
いけばと

舘 尚志(2018/07/22)

追伸⇨万古町、海蔵川河川敷改修工事の際(昭和30年代)、発見された五輪塔は、現在浄覚寺の梵鐘下にあります。
余談ですが、舘氏・館氏 は先祖が異なるようです。
俳優の舘ひろし 氏の実家は名古屋市中区の舘医院ですが、数代遡ると
阿倉川に関係があるようです…。

タクジロー(2018/07/24)

舘 尚志 さま
詳細な情報をありがとうございます。
尚、阿倉川城と関係があるかどうかは分かりませんが、私の実家(東阿倉川)の隣に住む80歳後半の方の話によると、近鉄阿倉川駅の東側(朝鮮人学校)の南側の雑木林のようなところは、出城跡だそうです。
また、舘ひろしは実家のすぐ近くに住んでいた舘さんの親戚です。
これからも、いろいろお教え下さい。宜しくお願い致します。

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