海岸沿いの通りから眺める高鉾島
幕末、長崎港防衛のために最初に設置された7つの古台場の一つ
読み方
たかほこじまだいば
所在地
長崎県長崎市神ノ島町2高鉾島
形状
台場
現状・遺構等
【現状】 小島(山林)
【遺構等】 ?
訪城日
2019/11/23
満足度
?????
歴史・現況・感想等
高鉾島は長崎港の入り口に有る島で、幕末、長崎港防衛のために最初に設置された7つの古台場の一つが築かれた島で、承応2年(1653)に4門、文化6年(1809)に3門、文化9年(1812)に10門の計17門の砲台が備えられたそうです。
長崎湾入口東西を結ぶ女神大橋を渡って、海岸沿いの道を四郎ケ島台場跡へ向かうと、左手に「高鉾島台場」がきずかれていた小さな高鉾島がすぐ近くに見えますが、残念ながら舟がないと渡れません(;>_<;)。
尤も、遺構は特に残っていないようで、勿論、現在は無人島のようです。
尚、この高鉾島は多くの歴史が眠る島で、オランダ人には「殉教の島」と呼ばれていたそうです。
長崎で初めて殉教事件が起きたのがこの島で、慶長5年(1600)の関ケ原の戦い以降の徳川時代のキリシタン弾圧の頃、宣教師をかくまった容疑で宿主が斬首され、それを期に高鉾島の断崖で踏み絵が行われ、拒む人は崖から突き落とされたといいます。
また、26聖人処刑で有名な西坂での殉教者の多くも、この島の周辺で海中に投げ込まれているのだそうです。
一方、交易船保護の島であり、高鉾島の3角形の島影は、北西風を良く遮ってくれ、島の東側海上は、外国船が一時停泊と定められた場所だったそうです。
そして、出島から出港した船はこの高鉾島まで来ると出港と認められ、ここで遅れた作業をして、再度出港したとのことです。
『魚見岳台場登山口説明板、サイト・70歳現役ボーカリスト 上野彦馬、古写真より!(高鉾島)ほか参照』