羽後 角館城(仙北市)

城址の登る車道の車止め手前に立つ城址碑

角館佐竹氏の城下町は、武家屋敷と枝垂桜に小京都の面影を今なお残す

別名

小松山城、古城山城(ふるしろやまじょう)、角館古城

所在地

秋田県仙北市角館町古城山(ふるしろやま)  
【アクセス】
角館城は有名な武家屋敷群の北側(檜木内川の東側)の比高80mほどの小高い山なので容易に見つかると思います。車は古城山公園の標柱が立つ登り口から少し登った車止めの辺りに停めることができます。

形状

平山城(標高165.7m、比高約80m)

現状・遺構等

現状:古城山公園、山林
遺構等:曲輪、土塁、空堀、供養塔、標柱、石柱、石碑

満足度

★★☆☆☆

訪城日

2001/04/30
2008/05/19
2023/09/06

歴史等

尾輪平朝臣兼盛が、大和国吉野から陸奥国岩手郡滴石庄戸沢に移り住み、苗字を戸沢に改め戸沢氏の始祖となった。その子孫戸沢家盛の時、角館に城を築いて住んだと云われている。 天正18年(1590)家盛の7代の孫盛安は、豊臣秀吉の小田原征伐の時、真っ先に参陣し、本領安堵の朱印状をもらっている。
関ヶ原合戦では徳川方につき、軍功により慶長7年(1602)に常陸古河藩に転封(のちに、羽前新庄に転封)した後は、佐竹氏の領土となり、佐竹氏の客将的な存在であった芦名義勝(旧・盛重)が角館城主として入城した。
元和元年(1615)の一国一城令により、元和6年(1620)には角館城も破却対象となった。これを機に芦名義勝は戸沢氏時代の角館城の北側にあった城下町を捨て、新たに南側に城下町建設を開始した。そのため、川と山に囲まれた、守りに易く攻めるに難い場所に立地し、古城山の南麓には居館を設け、寺院が町を囲むように配置し、武家屋敷がそれぞれが抵抗拠点となるように設計されるなど、いざという時の防衛を考えた町造りがなされた。芦名氏は承応2年(1653)に三代当主千鶴丸が死亡し断絶、その後は明暦2年(1656)、佐竹義隣(よしちか)が入り角館の主は佐竹北家となり、以後明治維新まで角館を治めることとなった。
ちなみに佐竹義隣は、大納言高倉永慶の次男で、母が藩祖の佐竹義宣の妹であった関係から、佐竹北家の養子に迎えられた。また、義隣の子・義明は公卿の三条西家の娘を妻とした。このように佐竹北家の角館と京の都との関係は深く、そのため奥羽の片田舎に京風文化が花開いたのである。

【佐竹北家】佐竹四家のひとつで、湯沢の南家・大館の西家・本家が東家

『「歴史と旅・戦国大名家総覧(秋田書店刊)」、「日本の名城・古城もの知り事典(主婦と生活社刊)参照』

現況・登城記・感想等

角館城は武家屋敷の北側(檜木内川の東側)の比高80mほどの古城山(ふるしろやま)山頂部に主郭を置き、北東部に一段下がった曲輪、南側にも数段の曲輪が配置されている。
角館といえば、何といっても武家屋敷群とその道の両側に咲き誇る枝垂桜が有名である。
残念ながら、今回は桜を見物するには季節がやや遅く、残念ながらすでに葉桜になっていたが、大きくて立派な枝垂桜の並木と武家屋敷が見事に調和して満開時の情景が見事であろうことは容易に想像できた。いつか満開時にまた訪ねたいものである。
この枝垂桜は1664年京都の公家が角館佐竹氏に嫁いてきた時に、嫁入り道具の中に枝垂桜の苗が3本入っていたことがその始まりとのことである。
角館城そのものは古城山公園としてかなり改変されており、幾つかの塁段になった曲輪跡等々が残ってはいるものの、あまり見応えはない。
ただ、山頂部(本丸跡)からの景色は角館の町が一望でき、なかなかのものである。
(2001/04/30登城して)

東北一周旅行のついでに武家屋敷ともども寄ってみたら、古城山公園の標柱が立つ登り口に「熊出没注意」の看板があったが、古城山城跡の石柱がある車止めのある所まで登ってから登城するべきか迷ったが、熊も怖いし時間的にも余裕がなかったので諦めた。
(2008/05/19)

今回は久し振りに妻と二人での温泉旅行で乳頭温泉です。新幹線「こまち」で田沢湖駅に到着し、レンタカーを借りて乳頭温泉へ行きました。
折角遠くまで来たのだから、せめて1ケ所だけでも登城したいと思い、全く桜とはかけ離れた真夏でしたが武家屋敷散策と角館城跡に寄ってみました。
武家屋敷が建ち並ぶ武家屋敷群は、桜の季節ではないものの江戸時代の雰囲気が良く残り多くの観光客が来ていました。
一方、前回(2008/05/19)は熊出没注意の看板と時間的余裕がなくて登城を諦めた角館城は、古城山公園の標柱が立つ登り口に「熊出没注意」の看板だけでなく通行止めになっており立ち入り禁止の注意書きまでぶらさっがっていました。
それでも念の為にと、注意書きに書かれていた農林整備課に電話したところ、「人身被害があったため一切立ち入り禁止としています。」とのことで泣く泣く今回も断念することに。
そこで、せめて1城跡だけでもと思い、同じ仙北市にある「古堀田城跡」へ向かったら、ここはさらに山深くて、やはり「熊注意」の看板が・・・。おまけに、角館城跡からは想定以上に遠くて時間が掛かったため、これまた時間的にも無理なのが発覚。というわけで、今回は何処へも登城することが出来ませんでした(/。ヽ)。
(2023/09/06)

ギャラリー

角館城鳥瞰図(余湖さんのホームページより)
角館城は武家屋敷の北側(檜木内川の東側)の比高80mほどの古城山(ふるしろやま)山頂部に主郭を置き、北東部に一段下がった曲輪、南側にも数段の曲輪が配置されている。
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【2001/04/30】
武家屋敷

桜見物には、残念ながら少し遅かったようで僅かに葉桜が。
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西方の檜木内川越しに古城山(角館城跡)を
古城山(角館城跡)は城下町(武家屋敷群)の北方にあり、比高80mほどの目立った山である。写真右の橋は古城橋(ふるしろばし)で右奥が武家屋敷群。
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車止めから登城
古城山公園への入口から車道があるが、少し登って行くと古城山城跡碑が立つ奥に車止めがあり、ここから山頂部の本丸跡まで歩いて登ります。
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本丸跡
山頂部にある本丸跡はだだっ広いという感想だけ。また、角館城そのものは古城山公園としてかなり改変されており、幾つかの塁段になった曲輪跡等々が残ってはいるものの、あまり見応えはない。
ただ、山頂部(本丸跡)からの景色は角館の町が一望でき、なかなかのものである。

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【2008/05/19】
武家屋敷(青柳家)
20080519青柳家

石黒家
20080519石黒家

車止めのところで登城断念
武家屋敷ともども角館城跡へもと思って寄ってみたら、今回は古城山公園の標柱が立つ登り口に「熊出没注意」の看板があった。それでも古城山城跡の石柱がある車止めのある所まで登り、登城するべきか迷ったが、熊も怖いし時間的にも余裕がなかったので今回はここで諦めた。
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【2023/09/06】
今回は久し振りに妻と二人での温泉旅行で乳頭温泉です。新幹線「こまち」で田沢湖駅に到着し、レンタカーを借りて乳頭温泉へ行きました。
折角遠くまで来たのだから、せめて1ケ所だけでも登城したいと思い、全く桜とはかけ離れた真夏でしたが武家屋敷散策と角館城跡に寄ってみました。
(乳頭温泉鶴の湯にて)
別館「山の宿」の貸し切り露天風呂

鶴の湯の本館がとれなかったので鶴の湯別館「山の宿」に止まりました。「山の宿」は内湯が2ケ所と露天風呂が1ケ所あり、どの湯も空いていたら貸し切りというシステムになっており、もし空いていなかったらと心配しましたが、どちらの湯にもゆっくり入ることができ、真っ白な硫黄泉にすっかり満足しました。
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鶴の湯本館の混浴大露天風呂
2日目の朝食後には本館の風呂へ行きました。本館には女湯が2ケ所あり泉質が合計4種類あり、他には真っ白な硫黄泉の混浴大露天風呂が1ケ所あります。即ち、男風呂はなく男性はこの混浴大露天風呂だけにしか入れないというわけです。
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武家屋敷
武家屋敷が建ち並ぶ武家屋敷群は、桜の季節ではないものの江戸時代の雰囲気が良く残り多くの観光客が来ていました。
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青柳家
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古城山公園への登り口
今回は古城山公園の標柱が立つ山麓の登り口に「熊出没注意」の看板だけでなく、そこで通行止めになっており立ち入り禁止の注意書きまでぶらさっがっていました。
それでも念の為にと、注意書きに書かれていた農林整備課に電話したところ、「人身被害があったため一切立ち入り禁止としています。」とのことで泣く泣く今回も断念することに。
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古堀田城跡へ向かったが
せめて1城跡だけでもと思い、同じ仙北市にある「古堀田城跡」へ向かったら、ここはさらに山深くて、やはり「熊注意」の看板が・・・。おまけに、角館城跡からは想定以上に遠くて時間が掛かったため、これまた時間的にも無理なのが発覚。というわけで、今回は何処へも登城することが出来ませんでした(/。ヽ)。
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