水を満々と湛える本丸水堀
最上48館の一つ、最上氏改易後、戸沢氏6万石の居城として明治を
別名
鵜沼城
所在地
山形県新庄市堀端町
形状
平城
現状・遺構等
現状:最上公園(園内に戸沢神社)、【市指定史跡】
遺構等:大手門石垣・水堀・土塁・曲輪跡
満足度
★★☆☆☆
訪城日
2001/05/01
歴史等
天正8年(1580)、日野有祐によって築かれたと言われている。「最上48館」の一つとして山形城の支城となる。しかし、元和8年(1622)に最上氏の改易後に廃城となった。同年、常陸松岡より戸沢政盛が6万石で新庄の北方真室城に入封し、寛永元年(1624)から再築した。以後、戸沢氏は、11代この地を動くことなく明治を迎えた。
新庄藩は戊辰戦争に於いて他の奥羽諸藩と同じく列藩同盟に加盟したが、秋田藩とともに離脱した。そのため庄内藩酒井氏によって激しい攻撃を受け、慶応4年(1868)落城した。この時、態勢不利と察した戸沢主従は、城を放棄して撤退を決意し、城門の前に開城と書いた木札を掲げ、城に火をつけたという。
『参考資料:「サイト、お城の旅日記」、「日本の名城・古城事典(主婦と生活社刊)」』
現況・登城記・感想等
城内はきれいに整備された最上公園になっている。水堀も結構ひろく、本丸大手門石垣もかなり立派なものである。平城のわりには、決して嫌いなタイプの城ではないが、特別な印象もない。
(2001/05/01に訪城して)
ギャラリー
表御門跡