信濃 殿島城(伊那市)

本丸東側の三重空堀の内側の二重空堀

読み方

とのしまじょう

所在地

長野県伊那市東春近7300−160、殿島城址公園
【アクセス】県道209号線「中殿島」交差点より東に約380m行き、右折して約260mを右折すると間もなく本丸北東の駐車場[マップコード171 190 295*53]あるとのことですが、私はナビで所在地を指定すると「殿島城址公園」が出てきたので目的地に指定して行ったら住宅街の中の同じ道をくるくる廻ってしまったが、何台もの車が停まっているのを見つけたので行ってみたら、そこが城址公園の北東部の模擬城門前にある駐車場でした。

所要時間

駐車場のすぐ前が城跡で、今回の見学時間は35分でした。

形状

平山城

現状・遺構等

【現状】城址公園
【遺構等】曲輪(主郭)、土塁、空堀、模擬城門、石碑、説明板

満足度

★★★★

訪城日

2022/10/22

歴史等

殿島城(とのしま)は古くは本城と呼ばれ、稀に見る大規模な平山城であった。土居は高く、濠は深く、城下一帯は沼地で要害堅固、北方には御射山(みさやま)を隔てて、物見城があった。
天文年間(1532~1555年)の初めに、春日城から分家した殿島(とのじま)大和守重国が1,500石を拝領してここに築城し、この地方を治めた。
弘治2年(1556年)武田信玄が伊那に侵攻し廻状によって降伏をせまった。
大和守をはじめとする伊那の諸士は防備を堅くし毅然としてこれに対抗したが力及ばず、狐島にて磔にされ、後に黒河内(長谷)の八人塚に葬られた。その後、16世紀後半まで高遠城の支城であったとする説もある。
大正6年(1917年)東春近小学校運動場設置の為、濠が埋められ城の姿を失った。その後、学校農園として芋や野菜が作られていた時代もあった。
昭和63年(1988年)に伊那市の都市公園として整備され、現在に至っている。
(現地説明板より)

現況・登城記・感想等

殿島城跡は城址公園として整備されているが本丸周辺は良好に残り(説明板によると復元かも)、その本丸跡はサッカーコートがゆうに1面とれるほどだだっ広く、その周囲を分厚くて高い土塁がめぐり、強烈な急崖で防御されている西側を除く3方面には二重・三重の空堀が取り囲み見応え充分です。
登城前には、それほど期待もしていなかったので随分得した気分です。
説明板の城址図を見ると、かつては南側には二の丸が配置されていたようですが、今は住宅街に埋もれてしまっています。
それどころか往時の城域はもっと遥かに広く、本丸を取り囲むように曲輪が設けられ、随分多くの堀をめぐらせていた梯郭式縄張りの城だったようです。城跡の周辺を散策したら、あちこちに空堀跡の一部が見付かったかもしれないですね。
尚、本丸の東側土塁の北端には模擬城門が建てられています。
(2022/10/22登城して)

ギャラリー

殿島城址略図(本丸内北側の説明板より)
本丸跡北側の土塁前に説明板があり、そこに城址略図があります。それによると城址公園の南側には二の丸があったようですが、現在は住宅街に埋もれてしまっています。
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殿島城鳥瞰図(余湖くんのホームページより)
説明板の略図では城址公園(本丸跡)の南側の住宅街が二の丸跡となっていましたが、それどころか往時の城域は遥かに広く、本丸を取り囲むように曲輪が設けられ、随分多くの堀をめぐらせていた
梯郭式縄張りの城だったようです。城跡の周辺を散策したら、あちこちに空堀跡の一部が見付かったかもしれないですね。
余湖くんのホームページ殿島城鳥瞰図

本丸東側の北端部に建てられた模擬城門
門の手前の土橋の両側には見応えのある二重空堀が設けられています。
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模擬城門手前の空堀
模擬城門手前の土橋の両側の空堀(本丸東側の空堀)は二重空堀になっています。
土橋右側(本丸北東部から北側の)二重空堀
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土橋左側(本丸東側)の二重空堀
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本丸跡
模擬城門を潜って入城すると、ゆうにサッカーコート1面はとれるようなだだっ広い本丸跡がありますが、城址公園となり草も綺麗に刈られています。その本丸跡周囲には土塁がめぐっています。
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本丸内から模擬城門を
模擬城門は本丸東面土塁の北端(写真左側)に建てられています。

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東面土塁と本丸東側部分
本丸跡本丸周囲をめぐる土塁は分厚くて高いが、特に、この東面の土塁と北面の土塁は高さ約5mほどはあるのではないでしょうか。本丸跡の南端(写真奥)には遊具などが設置されています。
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本丸北側の土塁
分厚くて高い土塁ですが、残念ながら藪がひどくて登るのは無理なようです。土塁の前には説明板と石碑が建てられています。
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石碑
大きくて、なかなか立派な石碑です。
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本丸西面の土塁
本丸西面と南面の土塁は、北面や東面と較べると低く、高さ2m強といったところでしょうか。本丸西側は天然の強烈な急崖になっており、その地形に沿って築かれているためか、直線でなく多少曲がりくねっています。
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本丸西側の急崖(西面土塁南端部上から撮影)
本丸の西側は高低差20m近くあろうかという強烈な急崖になっており、この西側だけは空堀はなく天然の要害に防御を任せています。実際見ると、その急な斜面の凄さが分かるのですが、藪がひどくて写真ではちょっと分かり辛いでしょうね。
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本丸南西部角の土塁(土塁上にて撮影)
私は土塁も堀も角部の光景が好きで、必ず写真を撮ってしまうのです。
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本丸南面土塁を土塁上にて
本丸南面土塁も西面土塁と同様、比較的低く本丸内からの高さは2m前後ですが、土塁の
外側(南側・写真右側)には深~い空堀が設けられています。尚、当土塁の中央部は本丸側へと土塁が突き出ているが櫓台跡ではないでしょうか?
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櫓台?
南面土塁中央部の城内側へ突き出た土塁は、ちょっとした櫓を建てるには充分な広さがあります。
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本丸南側の二重空堀の内側の深~い空堀を土塁上から見下ろす
本丸南面土塁上から南側を見下ろすと、雑木林の奥底に空堀が見えます。土塁上と空堀底の高低差は10m近くはあるのではないでしょうか。
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本丸南虎口
南面虎口の東の方には二の丸(現在は住宅街に)から入る虎口が設けられています。
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本丸南側の二重空堀(虎口の西側)
本丸南側の空堀は二重堀になっていますが、内側の堀底の方がかなり高くなっており、二段堀という名称の方が相応しいかもしれないですね。外側の空堀底と土塁上の高低差はゆうに10mを超えるでしょう。
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本丸南側の空堀(虎口東側)
こちらは内側ぼ空堀だけが残り、外側は住宅が迫ってきています。
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本丸東側の三重空堀
本丸東側の南部分は三重空堀が良好に残っています。三重空堀を一枚の写真で撮りたかったのですが、高い撮影場所がなく、内側の二重空堀と一番外側の空堀に分けて撮ることになってしまいました(/。ヽ)。
(三重空堀の内側の二重空堀)
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(三重空堀の一番外側の空堀)
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南虎口から本丸内東側を
再び本丸南虎口へ戻り、虎口前から本丸東面の土塁を撮影。東面土塁は分厚い上に高さ5mほどありそうですが、相当な藪で登って行けそうにないのが残念。尚、土塁の中央部に大きな土管のようなものが見えましたが、何と土塁をくり抜いたトイレになっていました。苦笑_〆(´Д`; )ハハッ。
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本丸東面土塁をくり抜いて造られたトイレ
このトイレ、何と土塁を完全にくり抜いて造られており、土塁の外側まで行けるようになっていました。苦笑_〆(´Д`; )ハハッ。
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トイレの外側(東側)から空堀と土塁を
トイレのトンネルをくぐって土塁の外側へ出ると、空堀と土塁のコラボの光景がなかなかでした。尚、この土塁のすぐ下は犬走りのようになっていました。
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