住宅街の真ん中にフェンスで囲まれた元寇防塁跡
博多湾岸のほぼ中央に位置する元寇防塁、構造や分担国は不明
別名
石築地
所在地
福岡県福岡市中央区地行2-12-19
【アクセス】
明治通りの知行信号を北西へ曲がり200mほど進むと左手に蓮正寺があり、その手前にパーキングがあります。蓮正寺前を通り過ぎ60mほどの交差点(信号有り)を左折し130~140mほど行くと、左手ににフェンスに囲まれた防塁跡があります。
蓮正寺:福岡県福岡市中央区地行2丁目13−41、電話092-761-5415
形状
防塁
現状・遺構等
【現状】 住宅街内の空き地
【遺構等】 石積み頂部の石?、説明板
満足度
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訪城日
2019/11/25
歴史等
13世紀初め、チンギス・ハンはアジアからヨーロッパにまたがるモンゴル帝国をうちたてました。その孫、五代皇帝フビライは、国名を元と改め、日本に使者を送り通交を求めました。しかし鎌倉幕府がこれに応じなかったため、文永11年(1274)博多湾に攻めこみ、その西部に上陸し九州の御家人たちと激しい戦いをくりひろげました(文永の役)。
幕府は、元の再度の来襲に備えて、九州各地の御家人に命じて、建治2年(1276)3月から約半年間で、西は今津から東は香椎まで博多湾の海岸沿い約20kmにわたる石築地(元寇防塁)を築かせ、その場所を警備させました。
この知行地区の元寇防塁は、博多湾岸のほぼ中央に位置しますが、その構造や分担国などまだわかっていません。
弘安4年(1281)元は再び日本を攻めましたが、この元寇防塁や武士の元船への攻撃にはばまれ、博多の地には上陸できませんでした(弘安の役)。
元寇防塁は、昭和6年(1931)、国の史跡に指定され、保存されています。
『現地説明板他より』
現況・登城記・感想等
知行地区の元寇防塁跡は、博多中心街に近くの、まさに住宅街の中にフェンスに囲まれ、フェンスの内側に小さな説明板が設置されています。
発掘調査は実施されていないようですが、フェンスの奥の塀の傍に松の木がはえており、その根本周辺が高まり、石が転がっているのが見えます。
ひょっとして、それが石積みの石??
(2019/11/25訪れて)
ギャラリー
元寇防塁位置図(現地説明板より) ~画面をクリックにて拡大画面に~
元寇防塁の遺構は、現在、西から今津、今宿、生の松原、姪浜、西新、地行、箱崎の7ヶ所に確認されているようです。
防塁跡の高みと石積みの石??
フェンスの奥の塀の傍に松の木がはえており、その根本周辺が高まり、石が転がっているのが見えます。ひょっとして、それが石積みの石??