女神大橋の戸町側出口脇の女神大橋道路公園から魚見岳台場跡を
幕末、長崎港防衛のため、港内外に設置された台場の一つ
所在地
長崎健長崎市戸町5丁目
【アクセス】
長崎市民病院前を通る国道499号線を南(野母方面)へ3kmほど進むと女神大橋が現れる。その橋の下右側に駐車場があります。魚見岳台場跡はその南東に見える山の中腹にあります。
駐車場に車を停めて国道499号線をさ南へ50mほど歩いて行くと左手に登山口があります。
形状
台場
現状・遺構等
【現状】山林(国指定史跡)
【遺構等】石垣、石蔵(石造弾薬庫)、説明板
満足度
?????
訪城日
2019/11/23
歴史等
鎖国政策後、長崎港防衛のため、 まず寛永18年(1641)港口に西泊・戸町両番所が置かれ石火矢台が設けられた。承応3年(1654)には港内の大多越(おおたを)・女神、 港口の神崎(こうざき)、港外の白崎(しろさき)・高鉾(たかほこ)・長刀(なぎなた)岩・陰尾(かげのお)の計7ヵ所に台場が築かれ、 のちにこれは古台場と呼ばれる。 次いで文化5年(1808)には新たに、すずれ・女神・神崎・高鉾・陰尾の5ヶ所に新たに砲台が築かれ、 新台場と呼ばれた。
さらに4年後の文化9年(1812)、魚見岳ほか神崎・高鉾・長刀岩に砲台が増設され、これを増台場と呼んだが、 これらのうちで、 ここ魚見岳台場は石垣や石造弾薬庫等の遺構が良く残されており、当時の絵図に描かれた台場を偲ぶことができ、海外との交流・緊張が絶えなかった長崎を代表する史跡として極めて貴重である。
『登城口説明板他より』
現況・登城記・感想等
幕末、重要な港があった長崎には23ケ所もの台場が設置されました。
ただ、その多くが今では埋もれてしまったり、改変されてしまったりしており、唯一「魚見岳台場跡」だけが石垣や御石蔵などの遺構が良好に残っているようです。
「魚見岳台場跡」は、長崎港によって分断されている長崎市の南部と西部を結ぶ女神大橋の南詰にある山の斜面に築かれており、橋の下にある駐車場に車を停めて、国道499号線沿いの登山口へ歩いて行きました。
すると、何と登山口が板塀で閉ざされているではありませんか w(*゚o゚*)w。そして、そこには「崖崩れのため通行禁止」の張り紙が・・・✩⃛*ෆʃᵕ ॢᴗ ॢᵕ)꒡◡꒡*ƪෆ*
その後、女神大橋の西側にある台場跡群へ向かうと、女神大橋の南東詰(戸町側出口脇)に「女神大橋道路公園」があり、そこからは魚見岳の北東斜面が見え、遠目ながら魚見岳台場の石垣が見えましたヨ(*^_^*)。でも、見えるとなると、登れないのが益々悔しくなってきました(;>_<;)。
尚、女神大橋道路公園からは橋の西奥に神崎台場跡がある小山もよく見えます。
(2019/11/23訪れて)
ギャラリー
魚見岳台場鳥瞰図(余湖くんのお城のページより)
魚見岳台場跡登城口
橋の下にある駐車場に車を停めて、国道499号線沿いの登山口へ歩いて行くと、登山口が板塀で閉ざされているではありませんか w(*゚o゚*)w。
そして、そこには「崖崩れのため通行禁止」の張り紙が・・・✩⃛*ෆʃᵕ ॢᴗ ॢᵕ)꒡◡꒡*ƪෆ*
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