近江源氏の佐々木氏の流れで高島七頭の一家朽木氏代々の城館
別名
朽木城(別名というよりも前身)
所在地
滋賀県高島市朽木野尻(郷土資料館:朽木野尻478-22、TEL:0740-38-2339)
形状
陣屋
現状・遺構
現状:郷土資料館、史跡公園、グラウンド、住宅地他
遺構等:石垣、堀、井戸、土居、曲輪、模擬冠木門、碑、説明板
満足度(10点満点)
1点
訪城日
2007/12/22
歴史等
朽木氏は、近江源氏の佐々木氏の流れで、京極氏、六角氏とは同族の高島郷に割拠した高島7頭の一家として朽木谷を支配した。
朽木氏は、京都と日本海を結ぶ若狭街道一帯を抑え、且つ、豊かな山林資源を活用することにより力を蓄えていく。室町幕府の中でも、
京都に近い立地、軍事力などの理由から重用され、幕府の奉公衆おして、親衛隊的な役割も担っていた。
織田信長が、朝倉攻めの際、浅井長政の裏切りに遭い、若狭から京へ逃げる際にとったルートが朽木谷で、
朽木氏がその先導をしたことは有名である。
その後、豊臣秀吉、徳川家康に仕え、江戸時代には9千石を安堵される。
朽木陣屋は、江戸時代に朽木氏が本拠とした城館で、若狭街道と琵琶湖からの街道が合流する交通の要衝に立地している。
陣屋の規模はおおよそ方2町(1町は60間で、約109メートル。従って約220m四方)で、内部には御殿や馬場があったが、
明治維新に建物は全て壊され、現在では堀、土塁、石垣の一部が見えるだけとなっている。
尚、朽木城は近年まで、その位置がはっきりと分かっていなかったが、平成12年に朽木陣屋跡の発掘調査が行われ、
15世紀初めに遡る遺構が発見され、少なくとも15世紀には朽木氏の本拠である朽木城が、陣屋と同じ位置に存在したことが分かった。
『朽木郷土資料館内資料より』
現況・登城記・感想等
朽木陣屋(くつきじんや)跡の一部は史跡公園になっており郷土資料館が建ち、江戸時代の民家が移築されている。遺構としては、
井戸やほんの僅かに土塁や石垣が残っているだけである。
郷土資料館は小さいながらも「高島の城」の資料や写真等が充実しており、興味深く見学できる。高島には山城が一杯あり、
遺構もかなり残っているようだ。今日は、残念ながらの雨模様で、とても山城には登城できそうにないが、いつかそれらの大部分を踏破?
したいものだ。
また、資料館内の資料によると、「朽木陣屋の地下遺構は良好に残っており、今後の調査により往時の姿を蘇らせる事が出来そうである。」
とある。楽しみに待ちたいと思う。
(2007/12/22登城して)
ギャラリー
史跡公園入口に建つ模擬冠木門(奥の建物は郷土資料館)
井戸と石垣
一つだけ残る井戸とのこと。手前の石垣も往時の遺構。また、左土塁下には石垣が残る。
僅かに残る石垣(上写真左奥の石垣)