結城氏一族の富岡氏の居城、上杉謙信・後北条氏に属し小田原の役で廃城
所在地
群馬県邑楽郡大泉町城之内2丁目2061番地
形状
平城
現状・遺構
現状:城之内公園、北中学校
遺構等:曲輪、土塁、水堀、石碑、説明板
満足度(10点満点)
5点
訪城日
2008/01/08
歴史等
小泉城は、延徳元年(1489)富岡主税介直光が縄張をしたことに始まり、以後富岡氏6代、約100年の居城として栄え、
威容を整えたものである。
現在の城跡は、小田原北条氏の傘下に入ってから改築されたものと考えられている。
天正18年(1590)、小田原北条方に組していた富岡氏は、豊臣氏の小田原攻めとともに破れ、廃城となった。
『現地説明板より』
現況・登城記・感想等
小泉城址は、中世の城郭にも関わらず、本丸の水堀と土塁が完存、三の丸北側の水堀と土塁が実に良好に残っている。中でも、
水堀がこれだけよく整備され残っている中世城郭を見るのは初めてである。
まずは、説明板が設置されている大手橋の所から、左回りで本丸の水堀の外側を廻ると、最初に目に付くのが、本丸水堀に突き出た本丸北東隅の
「櫓台」である。横矢がかかっているのがよく分かる。
次に、三の丸の北側の土塁が見える。土塁の方へ行って見ると、その外側にはしっかりと水堀が残っており、
その向こうを東武小泉線の電車が通って行った。
三の丸の北西に残る土塁は、幾重にも「折り」があり、なかなか見応えがある。
さらに廻って行くと、本丸西南隅の「折り」が見えてくる。この土塁と水堀も実にかっこいい。
一周して、大手橋から本丸に入って行くと、多くの人がゲートボールを楽しんでいた。本丸土塁上は一周することが出来るようになっている。
先ほど、堀の外側から見た西南隅の「折り」は上から見てもなかなかかっこ良かった。
(2008/01/08登城して)
ギャラリー
本丸北東隅櫓台
本丸の水堀の外側を廻ると、最初に目に付くのが、本丸水堀に突き出た本丸北東隅の「櫓台」である。
横矢がかかっているのがよく分かる。
㊧三の丸北側の土塁、 ㊨東武小泉線
次に、三の丸の北側の土塁が見える。土塁の方へ行って見ると、その外側にはしっかりと水堀が残っており、
その向こうを東武小泉線の電車が通って行った。
三の丸北側の土塁と外堀(右から、三の丸北側土塁、外堀、東武小泉線線路)
三の丸北西の土塁
幾重にも「折り」があり、なかなか見応えがある。この左奥に、折りがもう一つある。
本丸西南の折りのある水堀と土塁
さらに廻って行くと、本丸西南隅の「折り」が見えてくる。この土塁と水堀も実にかっこいい。
本丸土塁上を一周(本丸土塁上から本丸内を撮影)
一周して、大手橋から本丸に入って行くと、多くの人がゲートボールを楽しんでいた。
本丸土塁上は一周することが出来るようになっている。
本丸西南の折りのある土塁
西南隅の「折り」は上から見てもなかなかかっこ良かった。