上野 新堀城(群馬県吉井町)

一郷山城と共に平井城の西方を固める城

別名

多比良城

所在地

群馬県多野郡吉井町多比良2297~2300
(普賢寺:吉井町多比良2282、TEL027-387-4583)の裏(北)150mほどの所

形状

平山城(台城)

現状・遺構

現状:野原、田園
遺構等:曲輪、土塁、堀、碑、説明板

満足度(10点満点)

1点

訪城日

2008/01/17

歴史等

新堀城は南北250m、東西200mで、中央の本丸は南北90m、東西80m、この外に北郭、東郭、南郭、腰郭、帯郭がある。
関東管領山内上杉氏の本拠平井城を本城とし、 西方の固めとして一郷山城と共に別城一郭をなしていた。
箕輪軍記には永禄6年(1563)に武田勢に攻略され、上杉家の宝物も悉く焼失したと記されていた。
その後、天正18年(1590)3月25日、豊臣秀吉の小田原征伐の折り、多比良友定は上杉景勝の先鋒藤田信吉に降り廃城となった。
『現地説明板より』

現況・登城記・感想等

新堀城は、普賢寺の裏150mほどの所に城址碑と説明板があり、野原と畑になっている。
地形をよく見ると、台地上にあり、かなり埋められて浅くなっているようだが堀跡や土塁跡も確認できる。
少し整備されたら、それなりに見応えのある城址になるかもしれない。
説明板によると、「平井城の西方の固めとして一郷山城と共に別城一郭をなしていた」とあるが、一郷山城とはあまりにも離れており、 一郭とはとても思えないが?
(2008/01/17登城して)

ギャラリー

縄張図(一郷山城展望台展示より)   ~クリックにて拡大画面に~

本丸と本丸東側の堀跡
地形をよく見ると、台地上にあり、ここに城が築かれていたことも納得できる。本丸東側の堀跡は、 今は道路となっている。

本丸南側の堀跡
今は、埋められて浅くはなっているが、この堀は、幅が約20mほどはあろう。

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