山あいの小さな集落にある山城
所在地
愛知県豊田市幸海町城の腰
形状
山城
現状・遺構
現状:山林
遺構:曲輪
満足度(10点満点)
2点
訪城日
2007/04/28
歴史等
酒呑城(しゃちのみじょう)は、矢並鈴木重就の子・重時が酒呑鈴木氏の祖で、文明年間(1469~1487)、
矢並から酒呑に移り住み、城を築いた。
『サイト「ちえぞー!城行こまいhttp://www.geocities.jp/chiezoikomai/w-mikawa/syatinomi.html」
より』
現況・登城記・感想等
酒呑の里は、山あいにある本当にのどかで小さな集落であった。
山麓の畑で野焼きをしている方に登城道を教えてもらったところ、「何年か前までは、皆福寺の奥に殿さんが住んでいて、
毎年10月の祭の時には、皆で山上(城址)に登ってお参りをしたものだが、殿さんが亡くなってからは、
山上にあった石塔もこの山麓に持ってきて、誰も登らなくなったから、道が無くなって登れないと思うよ。しばらくは、
山登りの人もたまには居たんだけどねえ。山上からは足助街道などがよく見えて眺望がいいんだけどねえ。」とのことであった。
しかし、折角ここまで来たのだからと、従来の登山道を教えてもらい登ろうと思い山中方向へ・・・。すると、早速の藪だらけの道。
「時期が時期、また、時間が時間だし、まむしがなあ・・・」結局、登るのは諦めて、山上から下ろしたという石塔を前面に、
山を背景にして写真を・・・。」
最初は、単に、名前が気に入ったから登ろうという不純な動機からの登城計画であった。まあ、これもしょうがないねえ。
ところで、ここの殿様は、やはり飲兵衛だったのかなあ? 聞くのを忘れた。
(2007/04/28訪ねて)
ギャラリー
酒呑城遠景と登山道?
山麓の畑で野焼きをしている方に「殿さんが亡くなってからは、山上にあった石塔もこの山麓に持ってきて、
誰も登らなくなったから、道が無くなって登れないと思うよ。」と言われながらも、折角ここまで来たのだからと、
従来の登山道を教えてもらい登ろうと思い山中方向へ・・・。すると、早速の藪だらけの道。登城は断念!!
石塔(登城を諦め、山上から下ろしたという石塔を前面に、
山を背景にして写真を・・・。)
石垣
山麓の石塔が置かれている丘は、墓地になっているようであった。その脇のこの石垣は、往時のものだそうだ。