大手枡形への入口
江戸中期に立藩し、10代160年間続いた小藩は、陣屋ながらも小城郭風
所在地
静岡県静岡市清水区小島(おじま)町構内
龍津寺の駐車場を利用。龍津寺から北西へ約250m。
形状
陣屋(城郭風)
現状・遺構等
現状:宅地、畑地
遺構等:曲輪、石垣、井戸、碑、説明板
満足度
★★★☆☆
訪城日
2007/04/14
歴史等
江戸時代の中期、大名としては最も小さな1万石の藩が置かれたところで、譜代大名の松平氏が、10代160年間にわたって居住した。
城ではなく陣屋であるが、築き方は城と同じような点がある。
小島藩松平氏の先祖は、三河国加茂郡松平町滝脇の城主松平乗清である。乗清の子孫は、その後家康に仕え、代々幕府の要職につき、
松平信孝の時(元禄の頃)、1万石の大名に昇進し、諸候に加わった。信孝の養子となった松平信治は、宝永元年(1704)
に駿河国庵原郡小島村に陣屋を構築して、小島藩の初代藩主となった。小島藩は、駿河中東部唯一の大名で、庵原・有度・
安倍の3郡にわたる30カ村を統治した。
明治維新後も、小島藩学問所の後身、包蒙舎小学校校舎として用いられたが、昭和3年、移転により取り壊された。
小島藩1万石の家臣団は、足軽を含めて約200人位であったらしい。江戸期の黄表紙作家として有名な恋川春町は、この小島藩の重臣であった。
『「静岡県古城めぐり(静岡新聞社刊)」、「現地説明板」参照』
現況・登城記・感想等
小島(おじま)は、元々、陣屋町と身延道の間(あい)の宿との二面性を持った村であり、今でも静岡市清水区とはいいながらも、「山間
(やまあい)の鄙びた郷」の風情が残る町である。
国道1号線(静清バイパス)興津インターから国道52号線を4kmほど北上すると左側に龍津寺がある。陣屋跡は、
龍津寺の北西250mの所にあるが、そこまでの道が、民家の中を通って行くような感じで、非常に分かりづらい。私は、途中、
間違えてとんでもない山の中へ入って行ってしまった。
陣屋は山の中腹(中腹というよりも麓?)にある。残念ながら、4月中旬という草木の元気な季節に来てしまい、
石垣がかなり隠れてしまっているが、それほど高くはないものの、段差の全てに石垣が配されているのが分かる。その縄張りからは、
陣屋というよりも、小城郭といった方が良いのではと思う。
ただ、削平地部分がほとんど畑地になっているのは止むを得ないとは思うが、廃棄物のようなものが、いたる所に捨てられて(一部、置かれて?)
いて、景観を損なっているのが何とも残念である。
(2007/04/14登城して)
ギャラリー
龍津寺からの最初の道
陣屋跡は、
龍津寺の北西250mの所にあるが、そこまでの道が、民家の中を通って行くような感じで、非常に分かりづらい。
次に出た道
㊧案内板を見て真っ直ぐ行ってしまった。本当は、㊨の正面の家の方へ進む
間違えて入り込んでしまった山中は、
天然の要害地
まさに中世の山城の雰囲気!!(汗・汗・・) 天然の竪堀が一杯!! 冗談抜きに危険だった。
引き返して正規の道へ
中央の石垣が陣屋跡
(草で隠れて見づらいが)
陣屋跡への橋
この橋も、
何とも云えずいいですねえ!?
大手枡形への入口
枡形①(外側から)
枡形②(内側から)
枡形から先の大手道
一番広い区画(士分の屋敷地)
ここは結構きれいに整備がされている。
裏門跡
裏門なんてどうもなあ!! 陣屋は搦手門とは云わないの??