磐城 三春城(三春町)

矢倉跡に一部残る矢倉台石垣

征夷大将軍田村麻呂の後裔田村氏の城、江戸期は秋田氏が居城

所在地

福島県田村郡三春町大町

形状

平山城(比高80m)

現状・遺構等

現状:公園
遺構等:曲輪、石垣、土塁、空堀、石碑、説明板

満足度

★★☆☆☆

訪城日

2007/04/22

歴史等

田村地方の領主であった田村氏は、征夷大将軍・坂上田村麻呂の後胤である。
永正元年(1504)、田村氏3代田村義顕が築城したと伝えられている。三春城は、義顕、隆顕、清顕と3代が居城した。 清顕は南奥を代表する戦国の雄である。娘が伊達政宗の室となり、伊達氏と同盟の武将と目され威武振るった。
清顕の死後、家中は乱れたが、老臣らの働きで伊達家に帰属することで所領を全うした。清顕が嗣子なく没しため、甥・宗顕が嗣いだが、 秀吉の小田原征伐の時、伊達政宗に制され参加できず、所領を没収された。
天正19年(1591)会津領となり、蒲生氏、上杉氏、再度蒲生氏領となり、会津若松城の支城とされ、それぞれ城代が置かれた。
寛永4年(1627)会津藩主・加藤嘉明の三男・明利が3万石で立藩したが、翌年二本松に移封となり、二本松から松下長綱が入封した。 長綱の祖父・之綱(加兵衛)は、遠江頭陀寺(浜松市)の領主をし、当時、日吉丸と称した豊臣秀吉が之綱に仕えたと云われる。
長綱は正保元年(1644)4月、乱心を理由に、所領を召し上げられた。
翌正保2年(1645)、秋田俊季が5万5千石で入城した。秋田氏の先祖は、蝦夷の系譜に連なると云われ、古代「齶田の浦(秋田市土崎)・ 湊城」を根城にした安東氏で、安部貞任の子高星の後裔と称している。戦国時代の実季の時、秋田を名乗った。
2代盛季のとき、弟・季久に5千石分与し、5万石となる。以後230年在封し、幕末、11代映季のとき戊辰戦争が起こった。 奥羽越列藩同盟と新政府の両方に誼を通じ、お家安泰をはかった。
『「別冊歴史読本・激闘!戦国武将330傑(新人物往来社刊)」、「大名の日本地図、中嶋繁雄著(文春新書刊)」参照』

現況・登城記・感想等

三春といえば、やはり「三春の滝桜」である。大変な混雑が見込まれるので、登城前の早朝のうちにと思い、まずは花見。今日は、 あいにくの曇り空のせいか、または満開をやや過ぎてしまったせいか、もう一つ映えない。紅枝垂桜のはずが、薄墨桜のような感じであった。 そうは云いながらも、やはり立派な桜であることには変わりなく素晴らしかった。
さて三春城である。三春城址へは、磐越自動車道「船引三春インター」を下り、国道288号を郡山方面へ向かい、 2km強程進んだ信号を右折して県道300号に入り、900m程進むと、それほど広くは無いが、右折だけ出来る道があるので、 それを右折すると、いきなり、急な坂道になる。その坂道を道なりに登って行くと城址に着く。
駐車場から本丸へ登って行く途中に、櫓の石垣が一部残っている。よく見ると、その左奥(上)に、それよりも大きな石が、 積まれているのが見えたので、道はないが強引に登って見てみた。説明板などもなく、自然の石群のようににも見えたが、多分、石垣であろうと、 自分を納得させて本丸方面へと登って行った。
本丸手前のやや低い削平地に二の丸の碑と城址碑・説明板があった。この二の丸曲輪はかなり広い。この城の二の丸は、ここだけでなく、 下の方にも段曲輪になって、いくつもあるようであった。三春城も桜の名所とのことであったが、 この辺りはまだ3~5分咲きといった感じであった。
本丸虎口から本丸へ入って行くと、天守台のような石垣があったので、喜んでその石垣上の石碑を見たら、「秋田家祖先尊霊」とあり、 残念ながら後世のもののようであった。
本丸からの眺望は、良いようであるが、あいにくの曇り空で・・・。残念!
下の方に有る腰曲輪(二の丸等)の桜は満開に近く、なかなか綺麗であった。
三春の町は、車で走っていても、そこらじゅうに立派な桜の木があり、綺麗だった。福島県は、立派な桜の木の宝庫で、毎年、郡山観光交通(株)花番付表まで出しているようである。 勿論、滝桜は東の横綱である。
(2007/04/22登城して)

ギャラリー

登城前にまずは、滝桜を見に  ~クリックにて拡大画面に~

矢倉跡に一部残る矢倉台石垣
本丸へ登って行く途中に、櫓台の石垣が一部残っていた。
 

さらに大きな石垣?が
上写真石垣の左奥(上)にも、それよりも大きな石が、積まれているのが見えたので、 道はないが強引に登って見てみた。説明板などもなく、自然の石群のようににも見えたが、多分、石垣であろうと、自分を納得させた。

本丸手前の二の丸の城址碑と説明板 (左上は本丸への虎口)

本丸手前(下)の二の丸
この二の丸曲輪はかなり広い。この城の二の丸は、ここだけでなく、下の方にも段曲輪になって、 いくつもあるようであった。

三の門から二の丸への大門跡とその礎石
 

本丸

「秋田家祖先尊霊」の碑
本丸虎口から本丸へ入って行くと、天守台のような石垣があったので、喜んでその石垣上の石碑を見たら、 「秋田家祖先尊霊」とあった。ガクン。
 

腰曲輪の桜

トップページへ このページの先頭へ

コメント

この記事へのコメント

名前

メールアドレス

URL

コメント