鎌倉時代に新田氏一族中野景継により築城
別名
中野館
所在地
群馬県邑楽郡邑楽町中野3015神光寺(TEL0276-88-1839)
形状
平城
現状・遺構
現状:神光寺
遺構等:土塁?、説明板
満足度(10点満点)
1点
訪城日
2008/01/08
歴史等
中野城は鎌倉中期の文永2年(1265)新田義重の子孫中野景継によって築城され、以後同氏の居城となった。
景継の子藤内衛門が延元3年(1338)、越前国藤島において、主君新田義貞とともに戦死したため、築城後73年にして廃城となった。
戦国時代の永禄年間(1558~70)小泉城主富岡氏配下の宝田和泉守は、
中野氏の故城を修築し本拠としたが、天正18年(1590)、豊臣秀吉の関東平定により廃城となった。
遺構は寺院境内地を含めて、東西110m、南北140mに及ぶと云われ、わずかに南面に塁濠跡を確認でき、
その規模から中世の館跡とも考えられる。
『神光寺説明板より』
現況・登城記・感想等
中野城址は今は神光寺となり、説明板が設置されているのみで、遺構はないようである。
ただ、寺の駐車場横(北側)に土塁跡らしきものがあったが、果たしてそれが土塁遺構かどうかは、説明も全くなく分からない。
また、説明板には「わずかに南面に塁濠跡を確認でき・・・」となっていたが、全くその形跡は無かった。
境内に聳える「大カヤの木」だけが、中野景継がこの地に館を構築した時の名残りのようだ。
(2008/01/08登城して)
ギャラリー
土塁?
寺の駐車場横(北側)に土塁跡らしきものがあったが、果たしてそれが土塁遺構かどうかは、
説明も全くなく分からない。
大カヤの木(県指定天然記念物)
境内に聳える「大カヤの木」だけが、中野景継がこの地に館を構築した時の名残りのようだ。
このカヤは推定樹齢約750年、樹高21m、根周り15m、目通り5.5m、枝張り東西20m・南北23mあり、
地上6mのところで20枝に分かれている。