新田氏、足利氏の祖源義国が居住した館
所在地
群馬県太田市(旧尾島町)岩松町609青蓮寺(TEL:0276-52-3643)
形状
館
現状・遺構
現状:青蓮寺
遺構等:説明板
満足度(10点満点)
0点
訪城日
2008/02/28
歴史等
新田、足利氏の祖源義国は、この地岩松(当時はいぬま)に居住し、現在の青蓮寺境内を中心としたこの区域がその跡であり、
その子新田義重もここに居住し、南方に石清水八幡宮を勧請したと伝えられる。
正木文書(群馬県史資料編)によれば建保3年(1215)、鎌倉幕府は新田義重の嫡男義兼の譲状に基づき、その妻である義兼後家(新田尼)
を岩松、下今居、田中郷の地頭職に任じ、その後貞応3年(1224)、新田尼はその孫時兼にやしき岩松郷を譲渡し、2年後の嘉禄2年
(1226)、鎌倉幕府は時兼を岩松郷の地頭職に任じたとある。
また、源義国の孫足利矢田判官義清が、平家追討に出陣するにあたり、寿永2年(1183)
山城国山背野中西寺に祖父義国等の供養のため奉納した大般若経の奥書に、上野国新田住式部大夫加賀介従五位下義国とある。
これらの資料から、少なくとも当岩松に義兼が居住し、その父義重も住んだであろうこと、
さらには祖父義国も晩年には住んだであろう館があった可能性が強い。
時兼の父は足利義康の孫義純で、新田義兼嫡女と結婚し、岩松中邸に居住したと伝えられる。中邸は本邸の控えであり、
そこで成長した時兼はその後本邸に移ったのであろう。
時兼以後、岩松氏が代々居住したものと思われる。
『現地説明板より』
現況・登城記・感想等
岩松館には青蓮寺が建ち立派な山門の手前に説明板が設置されている。遺構は全くない。
(2008/02/28訪れて)