韮山城の詰の砦
別名
天狗嶽砦
所在地
静岡県伊豆の国市韮山韮山
形状
砦
現状・遺構
現状:山林
遺構等:曲輪、土塁、堀切、土橋
満足度(10点満点)
5点
訪城日
2008/03/01
歴史等
伊豆を支配した北条早雲こと伊勢新九郎が韮山城と共に築いたと思われる。
早雲は延徳3年(1491、明応2年説もある)に足利茶々丸を堀越公方館に討って、伊豆支配の拠点として韮山築城に取り掛かった。
天ケ嶽を中心に、北西に本城域、北東に江川曲輪、南西に土手和田砦・和田島砦、さらに南方に岩戸山砦を配した分散的な城郭域であった。
天ケ嶽には最高所の見張り台を中心に尾根筋に削平地と堀切が穿たれ、1朝事ある折に備えていた。
韮山城は、早雲が居城として築き、北条氏滅亡に至る間の、1世紀にわたる伊豆及び駿河方面の最大の拠点であった。
早雲は、永正16年(1519)8月、韮山城にて没し、
法名を早雲庵天嶽宗瑞と号した。天嶽とは、韮山城の詰の曲輪・
天ケ嶽のことである。
早雲の死後、韮山城は有力支城として拡張整備されていった。
『歴史群像シリーズ・真説戦国北条五代(学研刊)参照』
現況・登城記・感想等
今日は、会社の同期O氏との登城であった。まず韮山城を取巻く砦郡を全て廻ろうと勇んで出掛けた。
韮山城へ来たのは久し振りだ。
郷土資料館のボランティアの方に登り口を聞いたら、「もう誰も登らないので、道が残っているかどうか分からないが、てじろ坂(切通し)
の手前から入れるかもしれない。また、江川曲輪は何年か前の台風で多くの木が倒れ、入ることが出来ない。」とのことであった。
早速、てじろ坂のへ向かい捜したが、道らしきものは見付からない。止むを得ず、天ケ嶽へ強引に直登しようと、
どこかに入って行ける所がないかと捜し、一箇所入れそうな所を見つけ、直登しはじめ40mほど登ったが、
あまりにも木や竹が鬱蒼と生えていて、行く手を遮られた。また、O氏は、私から「城めぐりを」と聞いたので、
観光用の城かと思ったとのことで、山登りの準備が出来ていない。おまけに、氏は花粉症がひどく、まさに杉山の真っ只中・・・。とても、
これ以上登るのは無理と、あきらめて引き返した。
下山したら、地元の方に出会ったので、天ケ嶽へ登る道を再度聞いたら、もう少し北東の方にあるにはあるが、あまりにも猪がよく出るので、
猪の仕掛けがしてある。」とのことだ。止めた方がいいようだ!!
しかし、それでも私は諦めない!再度、てじろ坂の辺りを捜した。すると、手前というよりも、切通しの左側土塁に3mほどの崖道?
があったので、強引に登ったら、そこから尾根道が出来ていた。
しばらくその尾根道を歩いて行くと、急な崖道となり、それをひたすら登って行った。途中、3箇所にロープが繋がれていた。
登り切った所が天ケ嶽頂上部で、細長い削平地になっており、三角点がある。そこからは、城池が眼下に見え、また堀越方面も眺めることができ、
守山城址の山も見える。
さらに、進んで行くと、天ケ嶽砦の最大の見所であろう片堀切(堀切と土橋)が見えてきた。
これだけはっきりと残る戦国期の堀切は珍しいのでは?ほぼ垂直に近く、しかも深く切られているので、土橋を通るのが怖いくらいである。
そこを、さらに進んで行くと、またまた堀切に出会う。堀切の向こうは物見台程度の狭い削平地で、そこから奥は、急崖になっている。どうも、
この堀切の存在理由が分からなかった。堀切によって、狭い削平地(物見台?)が孤立してしまうのでは?
まあ、それは兎も角、その横から降りて行けるようであったが、ここで戻ることにした。
天ケ嶽砦は、砦とは言いながら、その規模や遺構等々を見ると山城というに相応しいのでは?
今回の登城は結構満足はしたが、土手和田砦や和田島砦への道が分からず行けなかったのは残念だった。いつか、再チャレンジしたいと思う。
(2008/02/28登城して)
ギャラリー
韮山城塞群の図(現地資料館の資料より) ~クリックにて拡大画面に~
最初登城口が分からず、天ケ嶽へ強引に直登しようと、どこかに入って行ける所がないかと捜し、
一箇所入れそうな所を見つけ、直登しはじめ40mほど登ったが、あまりにも木や竹が鬱蒼と生えていて、行く手を遮られた。
天ケ嶽全景(城池手前・韮山城出丸辺りから) 前回
(2004/12/25)韮山城訪城時撮影
登城口
一度は登城を諦めかけたが、再度、てじろ坂の辺りを捜した。すると、手前というよりも、
切通しの左側土塁に3mほどの崖道?があったので、強引に登ったら、そこから尾根道が出来ていた。
尾根道(急崖)
しばらく尾根道を歩いて行くと、急な崖道となり、それをひたすら登って行った。途中、
3箇所にロープが繋がれていた。
天ケ嶽砦頂上部削平地
崖道を登り切った所が天ケ嶽頂上部で、細長い削平地になっており、三角点がある。
天ケ嶽砦頂上部からの眺望(城池方面)
天ケ嶽砦頂上部からの眺望(堀越・守山城址方面)
片堀切(堀4号)
頂上部の削平地から、さらに進んで行くと、天ケ嶽砦の最大の見所であろう片堀切(堀切と土橋)が見えてきた。
これだけはっきりと残る戦国期の堀切は珍しいのでは?ほぼ垂直に近く、しかも深く切られているので、土橋を通るのが怖いくらいである。
堀切(堀5号)
片堀切の土橋を渡り、さらに進んで行くと、またまた堀切に出会う。堀切の向こうは物見台程度の狭い削平地で、
そこから奥は、急崖になっている。