常陸 河和田城(水戸市)

江戸氏の家臣春秋氏165年の居城

所在地

茨城県水戸市河和田町(河和田小学校、天徳寺、報仏寺一帯)
河和田小学校:河和田町1019、TEL029-251-9540
天徳寺:河和田町914-1、029-252-4604
報仏寺:河和田町88、029-251-5789

形状

平城

現状・遺構

現状:市街地(河和田小学校、天徳寺、報仏寺他)
遺構等:土塁、堀、石碑(説明付き)

満足度(10点満点)

3点

訪城日

2008/04/23

歴史等

この河和田一帯は、その昔入り組んだ台地と沼沢が多く、南北朝時代から武士の館があった。この河和田城の築城者には諸説あるが、 建武4年(1337)鍛冶弾正貞国(河和田入道)により築かれたと云われている。
5重6重に土手が築かれ、その中に堀を巡らして館が築かれていた。
応永の頃(1394~1427)には江戸氏の居城となり、やがて江戸氏が要害の水戸城を攻め取って移ってからは、 その家臣春秋氏に与えられた。
それから約165年間、春秋氏が居城したが、天正18年(1590)、佐竹氏に敗れ廃城となった。
『現地説明板より』

現況・登城記・感想等

先月から強烈な腰痛に襲われ、今日は本当に久し振りであると同時に、ビクビクしながらの登城だった。それにしても強烈な痛みだった。 歩くのはおろか支えなしには立っていることも出来なかった。今日は何とか腰も耐えてくれほっとした。

河和田城跡一帯は、市街地化されてはいるが、天徳寺境内や雑木林等の地形や、 あちらこちらに点在して残っている土塁等々が往時の広い城域を偲ばせる。
河和田小学校の校門を入ってすぐの所に説明付きの石碑が建っている。その南東部が主郭で、今は雑木林になっており、 堀と土塁を確認することが出来る。
二郭跡の天徳寺にも土塁と堀が残っている。
また、報仏寺の山門前にも説明付きの石碑が建ち、その横の堀と土塁がなかなか見応えがある。
(2008/04/23登城して)

ギャラリー

石碑
河和田小学校校門入ってすぐの所に説明付き石碑が建っている。

主郭の土塁と堀
河和田小学校の南東部が主郭で、今は雑木林になっており、堀と土塁を確認することが出来る。

天徳寺への入口
二郭跡の天徳寺には城跡の雰囲気を出すためか、冠木門のような門が建てられている。門の両側は土塁が残り、 その前(右側のみ)には堀が残っている。

天徳寺土塁(上写真左側の土塁)
土塁は、駐車場入口や天徳寺境内奥の湿地のような所にも点在して残っている。

天徳寺に残る堀
2つ上写真の右側土塁手前に残るこの堀は、かなり埋ってしまっている。

報仏寺
山門横に説明付きの石碑が建ち、その横には土塁と堀(下写真)が残っている。

報仏寺堀
この報仏寺山門横の堀は良好に残されていた。

報仏寺の土塁
駐車場を囲むように残っている土塁は実に良好に残っている。

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