館跡正面の土塁とそこにたつ館跡名の石柱と表示板
木曽義仲の父義賢の居館
所在地
埼玉県比企郡嵐山町大蔵、大蔵神社
(嵐山カントリー入口から北東約700m)
形状
館
現状・遺構等
現状:大蔵神社、宅地、田園
遺構等:土塁、空堀、コンクリート碑、石柱、説明板
満足度
★☆☆☆☆
訪城日
2008/03/09
歴史等
大蔵館は、源義賢の居館である。
義賢は源氏の棟梁源為義の次男で、頼朝の叔父にあたる。近衛天皇の東宮(皇太子)時代に仕え、帯刀長(たてわきのおさ)となったので、
帯刀先生(たてわきせんじょう)または上野国多胡荘(群馬県吉井町)を領していたので多胡先生とも称した。
義賢は、当地を拠点として武威を高めたが、久寿2年(1155)8月16日、
武蔵国をめぐる秩父一族と源氏同士の勢力争いから源義朝等との合戦が行われ、義賢は義朝の子で甥の悪源太義平に討たれた。
義賢の次男で、当時2歳の駒王丸(後の木曽義仲)は畠山重能に助けられ、斎藤実盛のはからいで信濃国木曽の中原兼遠に預けられた。
『「現地説明板」、「中世武蔵人物列伝・埼玉県立歴史資料館Ⅱ編(さきたま出版会刊)」より』
現況・登城記・感想等
大蔵館跡は嵐山カントリー入口から北東700mほどの所にあり、北方の菅谷館とは都幾川を隔てて約1kmの位置に向き合うようにある。
館跡は大蔵神社となり、土塁や空堀が残っている。土塁は、それほど大規模なものではないが、北側から神社入口側(南側)へと幅も広く、
高さも高くなっていき、結構かっこいい。
また、館跡の西方2kmほどの所には、木曽義仲が生まれた館跡と伝えられる班渓寺(嵐山町鎌形1907、TEL0493-62-2350)
と義仲産湯の清水跡がある鎌形八幡神社(嵐山町鎌形)がある。ただ、どちらも武士の居館の遺構は残っていない。
(2008/03/09訪れて)
ギャラリー
大蔵神社入口(両側は南側土塁)
土塁(神社内から撮影)
土塁は、それほど大規模なものではないが、北側(写真手前)から神社入口側(写真奥)へと幅も広く、高さも高くなっていき、結構かっこいい。
班渓寺
源義賢が大蔵館を構えて、鎌形のこの地に下屋敷を設け、小枝御前を住まわせて、生まれたのが駒王丸
(のちの木曽義仲)である。寺の門の横に「木曽義仲公誕生之地」と刻まれた石碑が建つ。
班渓寺内に建つ「木曽義仲顕彰碑」
木曽義仲産湯の清水(鎌形八幡神社内)
写真正面後ろ(石垣最下段上)に「木曽義仲産湯清水」と刻まれた石碑が建つ。