江戸氏配下の城、城内に張り巡らされた大規模な空堀は圧巻
所在地
茨城県那珂郡茨城町小幡
形状
平城
現状・遺構
現状:山林
遺構等:曲輪、土塁、空掘、井戸、土橋、標柱、説明板
満足度(10点満点)
9点
訪城日
2008/04/23
歴史等
小幡城は、
①大掾詮幹の三男義幹が室町時代の1420年頃に築いた。
②小田知重の三男光重が鎌倉時代の1220年頃に築いた。
という2説がある。
戦国時代の文明年間(1481年頃)以後は、水戸城の江戸氏の影響下に入る。
現在の城域(約12ha)が整備されたのは、元亀~天正年間(1570年代)と思われ、府中城の大掾氏を攻める拠点として重要な役割をはたしている。
安土桃山時代の天正13年(1585)の書状には小幡城将として大塚弥三郎と小幡孫二郎の名が見える。この頃、城の守りを強化するため、
涸沼周辺の土豪が当番制で動員されている。
天正18年(1590)12月、豊臣秀吉の権力を背景にした太田城の佐竹義宣により、
水戸城の江戸氏は城を奪われ、
府中城の大掾氏は滅亡し、
この小幡城も落城した。
その後、小幡は慶長7年(1602)の佐竹氏の秋田移封まで佐竹義宣の直轄地となり、家臣の和田昭為が管理している。
小幡城は、天正18年の落城、或いは佐竹氏の秋田移封の時に、数百年にわたる歴史的役割を終えたと考えられる。
『現地説明板より』
現況・登城記・感想等
城跡入口が既に堀底道の入口であるが、着いたとたん思わず「ウォーッ! スゴイ!!」と唸ってしまった。
目の前に見える空堀の深くて広いこと。「スゴイ」、「スゴイ」を連発してしまった。
城内には、この「スゴイ空堀」が迷路のように張り巡らされているのである。このスゴイ堀底道を歩き廻った。そして、さらに「スゴイ」の連発・
・・。
スゴイのは空堀だけではない。相当な広さの本丸の周囲をめぐる土塁も高くて実に見応えがある。
また、土橋もかっこい。中でも、五の郭と四の郭の間に架かる細くて長くて、しかも高い土橋は、どちらの郭側から見てもかっこいい。
素晴らしい城跡だということは知ってはいたが、その想像をさらに超えるスゴイ城跡だった。
(2008/04/23登城して)
ギャラリー
小幡城址案内図(現地説明板より) ~クリックにて拡大画面に~
この案内図が何箇所かに設置されている。アバウトな城跡図であるが、
これを見ても空堀が迷路のように張り巡らされているのが分かる。
①登城口 ~クリックにて拡大画面に~
目の前に見える空堀の深くて広いこと。この登城口に着いたとたん思わず「ウォーッ! スゴイ!!」
と何度も唸ってしまった。登城口は七の郭の北部と二の郭の間の二重堀の北側(外側)である。
【堀、堀、堀・・・】
②上写真突き当りから左堀底道を
登城口から堀底道を進み左側へ曲がるとこの堀へ
③外側の堀から内側の堀へ
上写真の堀を少し進むと、二の郭のすぐ西側(二重堀の内側)の堀へと入ることが出来る。
④二の郭内側の堀(北方面)
上写真の所から二の郭西内側の空堀へ入り北側の堀を見る。右(東)
へ曲がる土塁と空堀のラインが何とも云えず良い。左は二重堀の間の土塁、右は二の郭。
⑤二の郭内側の堀(南方面)
一方、南方面を見ると、見応えのある深い空堀が奥の方へ伸びる。左は本郭、
右は五の郭から伸びる変形武者走りの土塁。
⑥五の郭北東隅櫓と本丸虎口方面への分岐点
上写真空堀を進みとこの分岐点へと出る。右階段を登ると五の郭北東隅櫓(右上の土塁)へ、
空堀を進むと四の郭と五の郭を繋ぐ土橋へ突き当たる。
⑦上写真左側の空堀 ~クリックにて拡大画面に~
右土塁が上写真の櫓台であるが、横矢が掛かり防備準備万端といったところでしょうか。
防衛上素晴らしいだけでなく、この折りのある空堀は実に絵になると思いますが如何ですか?
⑧左に本郭、右に五の郭、正面は土橋 ~クリックにて拡大画面に~
上写真空堀を進むと、本丸西下のこの場所へと出る。左が本郭、
右が五の郭で正面の土塁が四の郭と五の郭を繋ぐ高い土橋ですが、土橋に見えますか。私はてっきり大きな郭の土塁かと思いました。
この構図も何とも絵になりますねえ。
⑨本郭と四の郭の間の空堀(四の郭西部から撮影)
上写真を左へ曲がるとこの空堀へと出る。写真奥が本郭虎口で土橋状になっている。
⑩四の郭と五の郭間の土橋(五の郭側から撮影)
この細くて長く高い土橋は見事だ。右上は四の郭西隅の高い土塁だが、櫓でも建ってたのだろうか?
⑪四の郭
四の郭は広くはないが、土塁が残っている。本郭虎口を守る馬出しのような役目をする郭だったのであろうか。
写真右上土塁は櫓台のように広くて高くなってる。
⑫本郭
非常に広い本郭であるが、周囲を巡る高い土塁が実に良好に残っていて、本当に見応えがある。
⑬本郭西側の土塁
本郭周囲の土塁は実に良好に残っているが、中でもこの西側の土塁は高くて見応え充分だ。
⑭本丸井戸
城内に確認されている2つの井戸の1つで、落城の時、
お姫様が金の鳥をかかえて井戸に身投げしたという言い伝えがあるとか。井戸後ろの(本丸北側)土塁もかなり高くて見応えがある。
⑮五の郭
あまり整備されていない。筍が一杯出ていたが、収穫しないのかなあ。勿体ない。
⑯五の郭と七の郭を繋ぐ土橋
五の郭と七の郭の間の空堀は二重堀になっており、土橋の中央に土塁がある。㊧は五の郭と土塁間の土橋、
㊨は土塁と七の郭間の土橋。七の郭(右写真奥)は藪化がひどいので侵入を諦めた。
⑰五の郭北東部隅櫓跡
写真右は空堀底へと落ち込んでいる。
⑱五の郭北東隅櫓から変形武者走り方面への土橋
土橋奥の土塁も結構広く櫓台跡なのかも?奥の土塁の向こうが武者走りの土塁へと続いている。
⑲虎口?
五の郭北東隅櫓(写真奥)と手前の櫓台?の間には虎口らしきものが・・・。ここは丁度、
城郭の中央部の要の場所になり、写真奥が五の郭、左側に本丸、後ろに六の郭があり、堀底道も交わる。
⑳武者走り
この奥へ武者走りは続くようであったが藪化がひどく入っていくのは諦めた。