常陸 石神城(東海村)

Ⅰ郭(遠見城)とⅡ郭(御城)の間の空堀

石神小野崎氏の居城、佐竹氏と共に秋田へ移り廃城に

所在地

茨城県那珂郡東海村石神字内宿石神城址公園

形状

平山城

現状・遺構等

現状:石神城址公園
遺構等:曲輪、土塁、空堀、説明板

満足度

★★★★☆

訪城日

2008/04/23

歴史等

石神城は中世においては佐都西郡石神郷に位置し、東には蛇行していた久慈川が流れ、南北を深い谷地に挟まれた要害の地に造られていた。
この城が歴史に登場するの永享4年(1432)の石神城合戦の時であるが、 小野崎越前三郎が城方を攻めて鎌倉公方の足利持氏より感状を与えられている。
文正2年(1467)頃には小野崎越前守が城主になっていたが、天文4年(1525)には石神小野崎道長による「石神兵乱」 が起こり佐竹義篤は同族の額田小野崎篤道にこれを鎮めさせた。
しかし、天文16年(1547)には両者は所領をめぐって再び戦い、城は落ち、道長は城を退去した。
しかしその後、石神小野崎氏は佐竹氏への戦功により帰城が認められた。
慶長7年(1602)に佐竹氏が秋田に移封されると石神小野崎通広も秋田へ行き、石神城は廃城となった。
『現地説明板より』

現況・登城記・感想等

石神城址は城址公園としてよく整備され気持ちよく散策することができる。
城郭は、東から西へと、本郭(Ⅰ郭・遠見城)、Ⅱ郭(御城、みじょう)、Ⅲ郭の3つの郭からなり、その北西に北郭(領主屋敷)がある。
各郭は立派な空堀と土塁に囲まれており、Ⅲ郭の南側を除き、全てが良好に残っており見応え充分である。中でも、Ⅰ郭(遠見城) を囲む高い土塁と空堀には見とれてしまった。
また、Ⅲ郭北東部下から空堀越しに見上げるⅢ郭土塁の姿も絵になる。
(2008/04/23登城して)

ギャラリー

石神城の図
石神城は東から西へと、本郭(Ⅰ郭・遠見城)、Ⅱ郭(御城)、Ⅲ郭の3つの郭からなり、その北西に北郭 (領主屋敷)がある。

駐車場から城址を
石神城址は実に綺麗に整備された城址公園となっている。写真左側がⅡ郭(御城)で奥がⅢ郭。

登城口
上写真左側がこの登城口となり、遊歩道が造られ、気持ちよく散策できる。

Ⅱ郭(御城)北側の土塁
上写真登城口から登るとすぐこの横堀へと出る。この空堀はⅢ郭北側へと繋がっている。

㊧Ⅱ郭(御城)、㊨Ⅱ郭(御城)北側の土塁
横堀から少し登ると結構広いⅡ郭(御城)へと出る。Ⅱ郭は周囲を土塁と空堀が巡っている。
 

Ⅱ郭(御城)とⅠ郭(遠見城)の間の空堀
Ⅱ郭(写真右側)とⅠ郭(写真左側)間の空堀は折りがあり美しい。

Ⅰ郭(遠見城)
Ⅰ郭は狭いが、郭を囲む高い土塁は見応えがある。

Ⅱ郭(御城)から土橋を渡りⅢ郭へと
Ⅱ郭とⅢ郭の間は土塁と空堀で断ち切られ、中央に土橋が架かっている。

土橋の北(右)側の空堀
このⅡ郭とⅢ郭間の空堀にも折りがあり、なかなか見事だ。

Ⅲ郭北西部の空堀と土塁を
Ⅲ郭北西部の空堀の外側の土塁は他の所よりかなり高くなっており、深い空堀と相俟って実に絵になる。

㊧Ⅲ郭西側の空堀と㊨土塁
このⅢ郭西側の空堀も深くて幅も広い。このⅢ郭西側は土塁もよく残っている。
 

Ⅲ郭北東部下から空堀越しに見上げるⅢ郭土塁
この深い空堀と高い土塁。実に絵になると思いませんか?

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