江戸期になり森川氏が北生実城の一部に構えた陣屋
所在地
千葉県千葉市中央区生実町1551、生実神社他
形状
陣屋
現状・遺構
現状:市街地、生実神社
遺構等:土塁、空堀、説明板
満足度(10点満点)
2点
訪城日
2006/11/05
歴史等
2代将軍秀忠に仕えていた森川重俊は慶長14年(1609)、下野に3千石を知行していたが、同19年(1614)
に大久保忠隣事件に連座して除封され、酒井家次家にお預けとなったが、翌元和元年(1615)の大坂夏の陣の時、
家次に属して出陣し戦功をたてた。
重俊は寛永4年(1627)、赦免されて再度秀忠に仕え、のち上総・下総・相模3ヶ国内で1万石を加増されて諸侯に列し、北生実城の一部に陣屋を構えた。
その後、森川氏は、12代約250年間にわたって在封し、明治4年(1871)の廃藩置県を迎えた。
房総の諸藩は、頻繁に転封や除封されたが、生実藩は転封のなかった珍しい例である。
『藩と城下町の事典(東京堂出版刊)より』
現況・登城記・感想等
陣屋跡の多くは、宅地化されてしまっているが、生実神社横の空堀や神社の周りの土塁が良好に残っている。
(2006/11/05訪れて)
ギャラリー
北生実城と生実神社の図
森川重俊は、北生実城の一部を利用して陣屋を構えた。
生実神社
神社の周りを土塁が囲み、左側土塁下には結構大規模な空堀も残っている。
土塁
空堀