僅かに残る土塁の上に立つ城址碑とその下に説明板
幕末、遠江浜松藩井上氏が立藩し構えた陣屋(城)
別名
鶴舞城
所在地
千葉県市原市鶴舞(鶴舞小学校、鶴舞楽習の館、鶴舞幼稚園一帯)
鶴舞小学校:鶴舞708、電話:0436-88-2014
形状
陣屋
現状・遺構等
現状:鶴舞小学校、鶴舞楽習の館、鶴舞幼稚園
遺構等:土塁、井戸、石碑、説明板
満足度
★☆☆☆☆
訪城日
2008/09/02
歴史等
慶応3年(1867)10月、徳川慶喜が大政奉還により隠退すると、宗家を継いだ16代家達は慶応4年(1868)5月、
駿河府中 (静岡)藩70万石を与えられて立藩した。
このため、駿河・遠江両国の諸大名の領地替えが行われた。
遠江浜松6万石の井上正直は、翌明治2年(1869)2月11日に、初めて藩領長南宿に到着し、
上総埴生郡矢貫村の浄徳寺に仮藩庁を構えた。
同年3月12日には城地を求め、原野桐木原の開墾に着手し、鶴舞城の築城を開始した。
同年6月には版籍奉還を上奏して鶴舞藩知事に任ぜられ、翌3年(1870)4月には新藩庁が落成(城が完成する前に廃藩置県となったため、
築城工事は途中で中止されて鶴舞藩庁となったという説があるようだ)、同時に城下町としての町割も行われたが、在封2年10ヶ月の明治4年
(1871)7月、廃藩置県を迎えた。
『「現地説明板」、「藩と城下町の事典(東京堂出版刊)」他参照』
現況・登城記・感想等
陣屋跡は、鶴舞小学校、鶴舞楽習の館、鶴舞幼稚園などの敷地となり、小学校敷地の西(鶴舞楽習の館寄り)
の道路沿いフェンス越しに土塁の一部と井戸跡が残っている。
土塁上に「鶴舞城本丸之跡」の石碑がたち、手前には説明板が設置されている。
(2008/09/02訪れて)
ギャラリー
わずかに残る土塁
この手前の最も高い土塁部分上に表紙写真の石碑がたっている。
井戸跡
良質な水が得られたことから、この地が城地に選ばれたようだ。