上総 小浜城(いすみ市)

かなり規模の大きい虎口と土塁

万木城の支城、三方が太平洋に突き出た断崖絶壁の天然の要害

所在地

千葉県いすみ市大原町大原(八幡岬)

形状

海城

現状・遺構等

現状:八幡神社他
遺構等:曲輪、土塁痕、石碑、説明板

満足度

★★☆☆☆

訪城日

2008/09/02

歴史等

小浜城は、明応2年(1493)、万木城主・ 土岐頼定が伊南領を守るため、家臣鑓田美濃守勝定に命じて、万木城の支城として築城したことに始まる。
天正16年(1588)2月、美濃守が相州三浦に軍をすすめて後北条氏と戦った時、その虚に乗じて勝浦城主正木左近太夫は小浜城を襲いこれを攻め取った。
房州里見氏は援軍を送って小浜城奪回を図ったが攻め落とすことは出来なかった。無念に思っていた美濃守は天正17年(1589) 3月夜陰に乗じて激しく城を攻めついに奪回に成功した。
しかし天正18年(1590)本多忠勝が大多喜城主になった頃、 小浜城は本多氏に攻略されその姿を消した。
『現地説明板他より』

現況・登城記・感想等

小浜城址は、東・南・北の三方が太平洋に突き出た名勝八幡岬上にあり、断崖絶壁の天然の要害で、城から眺める太平洋の眺望は見事だ。
城跡へは、大原漁港に車を止めて八幡神社を目標に登城した。
石段を登ると、コンクリートで固められた土塁があり虎口へと出る。この土塁と虎口、コンクリートで固められてしまっているものの、 結構様になっており、土塁上から眺めてもなかなか見応えがあり、結構気に入った。。
その虎口から入ったところの曲輪が、小浜城で最も広い曲輪で、長軸60mほどはあろうか?この曲輪からの南方面海岸線の眺望は素晴らしく、 眼下には、往時は軍船を繋留していたと思われる船溜りも見える。
小浜城は、最も高い所にある主郭部を中心に、段郭になっているようだ。主郭部の本丸跡と思われる場所には八幡神社が祀られ、 その裏のさらに高い歌碑の建つ土塁が物見台跡であろうか?
岬の先端部にも曲輪があったようで、主郭部との間には切通し(堀切)も確認出来る。
(2008/09/02登城して)

ギャラリー

小浜城全景(大原漁港から撮影)
小浜城址は、東・南・北の三方が太平洋に突き出た名勝八幡岬上にあり断崖絶壁の天然の要害地にある。

登城
大原漁港に車を止めて八幡神社を目標に登城する。㊧神社入口の石段を登り、㊨左へ曲がると、 鳥居の奥右側に小浜城址が見える。
 

土塁と虎口
上の右写真の鳥居を潜ると、コンクリートで固められた土塁があり虎口へと出る。この土塁と虎口、 コンクリートで固められてしまっているものの、結構様になっていると思う。

城内で一番広い曲輪
上写真の虎口を入ると、小浜城内では最も広いと思われる曲輪へと出る。南方の海側を除き、 周りを土塁等で囲まれ、吹きっさらしの海風からも守られるこの曲輪は城主居館があったのではと思う。

船溜りと南方面海岸線の景色     ~クリックにて拡大画面に~
この曲輪からの、南方面の海岸線の眺望は素晴らしく、眼下には、 往時は軍船を繋留していたと思われる船溜りも見える。

土塁と虎口(土塁上から撮影)
 

八幡神社
主郭部の本丸跡と思われる場所には八幡神社が祀られており、周りを土塁が囲んでいる。

大原漁港方面の眺望         ~クリックにて拡大画面に~
神社の横を海側へ廻ると見事な眺望が拡がる。これは、城の北方面(大原漁港方面)の光景。 右側には太平洋が広がる。

太平洋
南方面には太平洋が広がり、水平線が見える。右下に突出している部分も、曲輪跡らしいが、今では、 崩落で危険な上、強烈な藪でとても降りては行けそうにない。

切通し(堀切)
主郭部と岬先端部の曲輪との間の堀切の名残りだろうか?

物見台跡?
八幡神社の裏の、最も高い所には、歌碑が建っているが、物見台跡であろうか?

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