僅かに残る土塁か?
幕末、沼津藩水野氏が立藩し構えられた陣屋
所在地
千葉県市原市菊間(喜来間ゴルフガーデンの北の公園?)
喜来間ゴルフガーデン:菊間2837、電話:0436-42-1541
形状
陣屋
現状・遺構
現状:公園?(空地)
遺構等:土塁?、標柱(字が消えている)
満足度
★☆☆☆☆
訪城日
2008/09/02
歴史等
慶応3年(1867)10月、徳川慶喜が大政奉還により隠退すると、宗家を継いだ16代家達は慶応4年(1868)5月、
駿河府中 (静岡)藩70万石を与えられて立藩した。
このため、駿河・遠江両国の諸大名の領地替えが行われた。
駿河沼津5万石の水野忠敬は、同年7月、知行5万石のうち2万3700石余を上総市原郡に移され、翌明治2年(1869)
1月に菊間村の千光院に仮陣屋を構えて立藩した。
同年6月には版籍奉還、同4年(1871)7月廃藩置県を迎えた。
『藩と城下町の事典(東京堂出版刊)より』
現況・登城記・感想等
陣屋跡は市街地化され、ゴルフ練習場の敷地などになっているが、藩庁跡が小公園?(木に囲まれた空地)になっており、 土壇の上に明治以降の戦没者慰霊碑の手前隅に陣屋名の消えてしまった標柱がたっている。また、土塁が一部残っているが、 高さはせいぜい50cm程度のもので、果たして遺構なのかどうかも疑わしい。せめて、標柱くらい新しいものに替えてほしいものだ。 (2008/09/02訪れて)
ギャラリー
藩庁跡
藩庁跡が小公園?になっているとは言うものの、私には木で囲まれたただの空地にしか思えなかった。
奥には土壇があり、その上に明治以降の戦没者慰霊碑がたっている。その右手前の片隅に標柱がたっている。
逆行のため、どうしてもまともな写真が撮れなかった。
標柱
標柱がたっているとは言いながら、㊧陣屋名は全く消えてしまっており、簡単な陣屋の説明が書かれているだけ。
㊨裏側を見ると、昭和32年10月となっている。何と50年以上経っている。せめて、標柱くらい新しいものに替えてほしいものだ。
土塁
土塁が一部残っているが、高さはせいぜい50cm程度のもので、果たして遺構なのかどうかも疑わしいのでは?