小牧長久手の戦いの時に、秀吉が本営とした城
所在地
愛知県犬山市城山97楽田小学校
楽田小学校:電話0568-67-1005
形状
平城
現状・遺構
現状:楽田小学校
遺構等:土塁、石碑
満足度(10点満点)
0点
訪城日
2008/09/24
歴史等
楽田城(がくでんじょう)は、永正年間(1504~20)斯波氏の家臣織田久長が築いたと伝えられる。
その後、犬山城主津田氏の持城となった。
織田信長がこれを奪って守将を入れていたが、いつの頃からか廃城になっていた。
天正12年(1684)の小牧山合戦で、森長可が羽黒で敗れてから10日後の3月27日、
秀吉は3万余の大軍を率いて犬山城に入り、
29日には、さらに進んで、廃城になっていた楽田城を修築して入城し、麾下の諸軍を配備し、小牧山の家康軍と睨み合った。
『歴史と旅・日本城郭総覧(秋田書店刊)より』
【余談】
「遺老物語」によると、楽田城には永禄元年(1558)
2階の天守閣が建てられていたとあり、これが天守閣の初めとする説もあるそうだ。
現況・登城記・感想等
楽田小学校の隅の土壇の上に石碑があるということで、校門付近他を捜したが見付からなかった。
この時節、あまり小学校の中の方までは入り辛く、小学校が周りより一段高くなっているのを見て、ここに楽田城があったんだなあと「納得??」
して帰ってきたしまった。本当に気の弱い私でした。
(2008/09/24訪れて)