知多半島突端にある師崎水軍の城
別名
幡豆崎(はずざき)城
所在地
愛知県知多郡南知多町師崎字明神山(師崎フェリー乗り場の南の丘陵)
形状
平山城
現状・遺構
現状:山林、羽豆神社
遺構等:曲輪、石碑
満足度(10点満点)
2点
訪城日
2008/11/10
歴史等
羽豆崎城は、南北朝時代(1336~1392)初期に熱田の大宮司千秋季氏、昌能父子が築いて居城し、南朝方に与した。
その後、南北朝の合一がなると、この地は一色氏に支配され、羽豆崎城には、一色氏の代官として佐治氏が入った。
戦国時代になると、千秋季忠が入るが、永禄3年(1560)の桶狭間合戦では、織田方に属したことで、今川勢に討たれた。
その後、千賀重親が城代となった。千賀氏は代々尾張の大名に仕え、慶長5年(1600)の関ヶ原の合戦では、師崎水軍が、
伊勢の九鬼水軍を撃破しているが、豊臣氏が滅亡すると羽豆崎城は廃城となった。
そして、千賀氏は、羽豆崎城の廃材で館(千賀屋敷)を造営し、
尾張藩の御船奉行として代々徳川家に仕えた。
『サイト・城郭写真記録他参照』
現況・登城記・感想等
知多半島の突端も突端(羽豆岬)、師崎のフェリー乗り場のすぐ南側の丘陵が羽豆崎城址である。
遺構は、一部腰曲輪跡らしき削平地があるだけで、ほとんど残っていないが、
丘陵の東側と西側の岩肌剥き出しの急崖が城址であることを物語っている。
丘陵上には羽豆神社が鎮座しており、主郭跡の頂上部には展望台があり、遊歩道が綺麗に整備されて気持ちよく散策できる。
展望台からの眺望は素晴らしく、東方面には三河湾、西方面には伊勢湾が拡がり、日間賀島や篠島をはじめとする多くの島々が見え、
その中を観光船が通行する光景は、いつまで見ていても飽きない。
(2008/11/10登城して)
ギャラリー
丘陵東側の崖
羽豆崎城址には遺構はほとんど残っていないが、
丘陵の東側と西側の岩肌剥き出しの急崖が城址であることを物語っている。
遊歩道は丘陵を南北に縦断しているが、私は北側(搦手側?)から登城した。
㊧登城口には羽豆神社の鳥居が立っている。㊨遊歩道は実に綺麗に整備され気持ちよく散策できる。
㊧展望台の基部、㊨城址碑
㊧頂部主郭跡には展望台があったが、そこには『立入禁止』の札が!!上るを諦めようかとも思ったが、
竣工昭和58年3月となっており、結構しっかりしているので、一人くらいなら大丈夫だろうと、後ろめたさを感じながら上った。
㊨展望台の5~6mほど横(南)には石碑が立っている。
展望台から師崎の町と港を
展望台から三河湾を
日間賀島(写真左の島)をはじめ三河湾に浮かぶ島々が見え、その中を観光船が通行する光景は、
いつまで見ていても飽きない。
展望台から伊勢湾を
逆行でちょっと見辛かったが、西側には伊勢湾が見え、その向こうには紀伊半島まで見える。
羽豆神社
丘陵の南端部には羽豆神社が鎮座している。
腰曲輪?
羽豆神社から下りて行くと、途中腰曲輪様の削平地を確認。しかし、この写真じゃあ分かるわけないですよね
(汗)!?
城址南東部より
写真中央から大手口?遊歩道があり、登り切った所が羽豆神社。写真右の方に主郭跡(展望台)がある。